07/09/21 14:55:53
テレビによる報道では,あらゆる演出によって,印象操作が可能になる。
政治論争を対立構図に持ち込んだり,特定の論者を神格化したりと,手法は実に様々だ。
「面白ければ何をしても良い」という考えは,放送倫理上,大きな問題がある。
議論は歓迎するが,放送局の社会的役割も含めた,前向きな議論を期待したい。
社会の改善を見込めるのなら,手段を限定すべきではない。公教育も然り。
ただし,やらせ番組のような程度の低い問題は,情報教育に取り入れるような題材ではない。
マスコミの社会的役割を考えるなら,学校の社会的役割についても考えるのが筋だろう。
テレビ放送に時間の枠があるように,また新聞の紙面に限りがあるように,
学校の授業時数にも限りがあることを忘れてはならない。
一般的な時間割をつくろうとするだけでも,かなり窮屈なパズルになる。
これは教師でなくても,実践してみればわかることだ。
どの知識をどれほど削るのか。以前より大きな利益が見込めるのか。
学校の限界を無視した提案は,かえって子どもたちと学校を混乱させるだろう。