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村上市郷土資料館HP
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皇太子妃殿下 雅子様
雅子妃殿下と村上とは、とりわけ深い関係があります。
旧村上藩主内藤家の家臣家系図で、最初に小和田家の名前が登場するのは天明7年
(1787)第十代藩主内藤信敦侯時代の分限帳に「下横目、小和田新六」とあります。
下横目とは、下級藩士のお目付役で禄は二人扶持でした。
小和田新六は、柔術(制剛流)の達人でした。郷土史によると新六が天明8年(1788)
に丸山令二治らと出した制剛流の許状が紹介されています。許状を出すには武術だけでは
なく人格識見ともに備わっていなければならず、新六もまた深い学識を備えていたもの
と思われます。
江戸末期、村上藩沖にも「黒船」が姿を現わします。嘉永元年(1848)4月
内藤藩は酒井藩とともに海岸防衛のために出兵します。その中に、小和田道助の名前が
見えます。道助は、安政6年(1859)親鸞上人の大法要の時、本悟寺(村上市細工町)
に絹に銀の刺繍をした立派な打敷を寄進、今も同寺に残っています。幕末、小和田家は
いくつかの分家を出したといわれ、雅子様のご先祖もそのひとつになります。
小和田新六から曾祖父金吉までの家系については不明の点が多く、これからの調査に待つ
ところが大きいのが現状です。