08/09/10 17:54:36 0u2AHfcW
2ちゃんねるで揶揄されるような例で
ある学校の運動会の徒競走ではみんな手をつなぎながら一緒にゴールするのだという、
じっさい都市伝説でしかないと思うのだが、それによって個人の能力の違いを否定したいわけだ。。
それに対して、人間は闘争心があるのだやら、人間は平等にできていないやら、社会は弱肉強食やら、
だから「悪平等である」そういった批判が行われる。
しかし、前提である、学力とスポーツと一部の芸術しか優劣を認めないそういった画一的な価値観こそ否定されるべきなのではないのではないかと思う
競争でビリだってほかの別の科目ではトップにつける者がいれば、手をつなぐ必要性はたちまちなくなる。
たとえば将棋だったりプラモづくりだったり、果ては切手収集だったり何でもいいはずなのに、
それらは彼ら弱肉強食を宣言する人間の興味の対象ではないのだ。
そのくだらない趣味的行為が誰のなんの役に立つのか?彼らはいう。
ではスポーツはなんの役に立っているのだろう?学歴社会は何に役立ってているだろう?
学歴によって富の奪取を正当化するための社会構造に作るためにである
あくまで対象は決定されていて、しかもそれは彼らによって決定されてて、その土台の上で価値がはかられねばならない