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かれらと争えば争うほど、ますますかれらの詭弁がわかってきた。最初はかれらは相手の愚鈍さを考
慮に入れる。だがもはや逃げ道がみつからないとなると、簡単に自分をバカに見せるのだ。なにをや
っても役に立たないと、かれらは正確に理解することができないとか、あるいは即座に他の領域に飛
躍したり、放棄したり、わかりきったことをいい、しかしそれが受け入れられるやいなや、ふたたび
本質的に違った材料を引き入れ、さてふたたびつかまえられると回避して、そしてくわしいことは何
も知らないという。そういう使徒を攻撃しても、いつもくらげのような粘液で手をつかみ、くらげの
ような粘液が指の間をすべり抜けると、次の瞬間にはふたたび合流して結合する。しかしかれらが周
囲から観察されると同意せざるえなくなり、そして少なくとも一歩自分の意見に近づかせたと思う
と、次の日はかえって逆になって驚きが大きい、というような実際ムダなことにぶつかる。ユダヤ人
はきのうのことは何も知らず、あたかも何事も起こらなかったし、しなかったかのように、かれらの古
い不法なことを幾度も話し続ける。そしてそれに憤慨して論駁すると、驚いたふりをして、かれの主
張が正しかったことは前日にすでに証明されているということ以外まったく何も思い出すことができないのだ。
わたしは幾度もつっ立ったままでいた。
かれらの口達者と嘘のてぎわと、どちらのほうをよけいに驚いたらいいのかを人々は知らなかった。
わたしは次第にかれらを憎み始めた。
アドルフ=ヒトラー著「わが闘争」