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「世論」
われわれがつねに「世論」といっているものは、自分でえた経験や個々人の認識にもと
づくものはごく小部分だけで、大部分はこれに対して、往々にしてまったく際限なく、徹底的にそし
て持続的にいわゆる「啓蒙」という種類のものによって呼びおこされるものである。
信仰上の態度決定が教育の結果であり、宗教上の要求それ自体がただ人間の内心にまどろんでいる
に過ぎないのと同様に、大衆の政治的意見もまた往々にしてまったく信じられないほど狂人で徹底的
な加工を、心と理性にほどこした究極の結果であるにすぎない。
このばあい、宣伝ということばが非常にぴったりするが、政治「教育」に図抜けて強力に関与して
いるものは新聞である。新聞はまず第一にこの「啓蒙活動」を考え、それによっておとなに対する一
種の学校をなしている。ただこの授業は国家の手にはなく、ある部分は最も劣等な勢力の手中にある。
わたしは若くして、ヴィーンで、この大衆教育の機関の所有者や精神的な製造者を正しく知るまさしく
絶好の機会をもった。わたしははじめは、国家の中にいる不快な大勢力が、一般のものがしっか
りといだいている内心の願望や観念をまったくつくり替えようとするときに、どうしてそんな短期間
で一定の意見をつくることができるのかと驚いた。数日にして笑うべきことから意味深長な国家的行
為をつくりあげ、その間同時に逆の生活上の重要問題は一般に忘却され、もっとよくいえば大衆の記
憶と回想の中から簡単に盗みだされてしまうのである。
そのようにして、二、三週間たつうちに、魔法のように何もないところから名前がつくり出され、
その名前に公衆の信ぜられぬほどの希望が結びつけられ、さらに実際にすぐれた人物でもしばしばか
れの全生涯においても与えられないような人気をつくろうとするのである。そのさい、一ヶ月前には
だれも聞いたことがないような名前で、一方では同時に国家生活やその他の公的生活で古くから定評
ある人々が、最も健全でありながら簡単にその時代社会から抹殺されてしまうか、あるいはかれらの
名前がやがて、まったくはっきりと下劣で無頼なシンボルになるように脅迫する悲惨な誹謗を浴びせ
かけられるのだった。