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■■  プロ固定について・・・  ■■ - 暇つぶし2ch390:名無しさんの主張
10/02/03 20:35:26 3j5bl0y3
「世論」

われわれがつねに「世論」といっているものは、自分でえた経験や個々人の認識にもと
づくものはごく小部分だけで、大部分はこれに対して、往々にしてまったく際限なく、徹底的にそし
て持続的にいわゆる「啓蒙」という種類のものによって呼びおこされるものである。
 信仰上の態度決定が教育の結果であり、宗教上の要求それ自体がただ人間の内心にまどろんでいる
に過ぎないのと同様に、大衆の政治的意見もまた往々にしてまったく信じられないほど狂人で徹底的
な加工を、心と理性にほどこした究極の結果であるにすぎない。
 このばあい、宣伝ということばが非常にぴったりするが、政治「教育」に図抜けて強力に関与して
いるものは新聞である。新聞はまず第一にこの「啓蒙活動」を考え、それによっておとなに対する一
種の学校をなしている。ただこの授業は国家の手にはなく、ある部分は最も劣等な勢力の手中にある。
わたしは若くして、ヴィーンで、この大衆教育の機関の所有者や精神的な製造者を正しく知るまさしく
絶好の機会をもった。わたしははじめは、国家の中にいる不快な大勢力が、一般のものがしっか
りといだいている内心の願望や観念をまったくつくり替えようとするときに、どうしてそんな短期間
で一定の意見をつくることができるのかと驚いた。数日にして笑うべきことから意味深長な国家的行
為をつくりあげ、その間同時に逆の生活上の重要問題は一般に忘却され、もっとよくいえば大衆の記
憶と回想の中から簡単に盗みだされてしまうのである。
 そのようにして、二、三週間たつうちに、魔法のように何もないところから名前がつくり出され、
その名前に公衆の信ぜられぬほどの希望が結びつけられ、さらに実際にすぐれた人物でもしばしばか
れの全生涯においても与えられないような人気をつくろうとするのである。そのさい、一ヶ月前には
だれも聞いたことがないような名前で、一方では同時に国家生活やその他の公的生活で古くから定評
ある人々が、最も健全でありながら簡単にその時代社会から抹殺されてしまうか、あるいはかれらの
名前がやがて、まったくはっきりと下劣で無頼なシンボルになるように脅迫する悲惨な誹謗を浴びせ
かけられるのだった。

391:名無しさんの主張
10/02/03 20:49:09 3j5bl0y3
このゴロツキ新聞の危険を完全に正しく評価しうるためには、りっぱな人間を
一度で呪文をかけたように、同時に何百という方向から清潔な衣服に下劣な誹謗と、名誉毀損の汚物
桶を注ぎかける、卑しいユダヤ人のやり方を研究しなければならない。
 こういう精神的な盗賊騎士には、自己の卑しい目的を達するために合致しないものは何もない。
 かれはそのさい、家族の最も秘密なことまで中へはいってかぎつけ、不幸な犠牲者にとどめをさす
にちがいないようなあわれむべきでき事を、キノコを探すような本能で探し出すまで止めないの
だ。しかし公的な生活しも、私的な生活にさえも、まったく何もかぎだすものを見附えないと、幾
度となく取消しても、それだけを取ってみると何かが引っかかるだけでなく、かれの遊び仲間のみん
なによって誹謗をただちにみつけ、幾百回となくくり返した結果、たいていのばあいにそれに対する
犠牲者の闘争がまったくできなくなるのだ、という不動の確信をもってヤツは簡単に誹謗するのであ
る。そのさいこういうゴロツキどもは、他の人間には信じられないぐらいの、あるいは理解さえもで
きないような動機から何か企てるのである。神よ守りたまえ!どういうようにルンペンは愛すべき
同時代の人々を、最も無頼な方法で攻撃しながら、このイカは実直さとかもったいぶった文句とかい
うまことらしい墨雲の中へかくれ、「ジャーナリストの義務」とか、それに似た虚偽のくだらないこ
とをしゃべり、しかもそのうえ増長し、会議とか、会合とか、またこういう疫病がたくさん集まる機
会には、まったく特殊な、すなわち、ジャーナリストの「名誉」についてムダ口をたたき、おまけに
集まってきた無頼漢どもはおたがいにおもおもしく確認しあうのである。
 だが、このゲスどもが、いわゆる「世論」の三分の二以上を製造していて、その泡から議会主義と
いう愛の神が発生したのだ。
 このやり方を正確に描き、そのまったくの嘘にみちた不誠実さをのべるためには数巻を要するであ
ろう。しかしまたこれを度外視し、そしてその活動とともに所与の結果だけでも観察するならば、正
しく信ずる気持ちをもつのならば、この制度の客観的に見た狂気を想像するためには、これで十分
であるように思う。

アドルフ=ヒトラー著 「わが闘争」

392:名無しさんの主張
10/02/05 16:14:13 F03dYyR6
ユダヤ的エゴイズムの結果

ユダヤ人の場合も似た事情にある。かれらの犠牲心は外見上だけの
ものである。それは、各個人の生存にとって無条件に必要である期間だけ続くに過ぎない。だが、共
通の敵が克服され、みなを脅かしていた危険が取り除かれ、獲物が隠されてしまうと同時に、ユダヤ人
相互間の見せかけの調和は中断してしまい、もとから存在していた素質が再びとってかわるのである。
ユダヤ人は共通の危険がそのように強制するか、共通の餌食がそそのかす場合にだけ一致するのであ
って、この二つの理由が消えてしまえば、きわめてはなはだしいエゴイズムの本性が当然のこととな
り、一致した民族からてのひらを裏返すように、相互に血みどろの闘争をするねずみの群が現れてくる。
 この世界にユダヤ人だけがいるのなら、かれらは泥や汚物に息がつまりながらも、憎しみに満ち満
ちた闘争の中で相互にペテンにかけよう、根こそぎにしようと努めるに違いない。ただしかし、それ
はかれらの臆病に示されている犠牲心の完全な欠如が、この場合にも、この闘争を猿芝居にしてしま
わなければの話である。
 したがって、ユダヤ人が闘争において、あるいはもっと適切にいうならば、かれらの隣人から強奪
する場合において、団結しているという事実から、かれらにある種の典型的な犠牲心が存在するのだ
と推論しようとするのは、根本的な誤りである。
 この場合でもユダヤ人を導くものは、個人のあからさまなエゴイズム以外のなにものでもないのだ。

アドルフ=ヒトラー著 「わが闘争」


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