07/12/01 17:56:22 2y0KsNQY
「なぜ日本人は幼児的なのか」ありがとうございました。台湾人の母と日本人の父、また米国で教育を受けた私にとって、日本人の国民性と思考形態は長年の関心ごとです。
心理相談の患者を診ていて、さらにひきこもり患者と彼らの親と接して、日本人と日本社会についての考えを述べたいと思います。
日本人は確かに精神的に未発達なところがあると思います。また、他の国民に比べて、日本人の精神構造が特殊という意見に同意します。
私の観察では、日本人は中国人や台湾人やフィリピン人などのアジア人と比べても、性格と精神構造が違います。
しかしながら、幼児性と精神構造の違いは日本人本来のものではなく、環境の産物であると考えています。私は東京理科大学で8年間心理学を教えましたが、その講座のひとつで日本人の精神構造は
1)逃げ道のない社会システムに適応した結果であること、2)自由の剥奪が日本人の生活の根底にあると強調しました。
288:名無しさんの主張
07/12/01 17:58:21 2y0KsNQY
日本人は伝統的に組織(藩、家制度、会社、学校など)の中に組み込まれ、その中で生活するように訓練され、組織の外の生活に恐怖心をもつ傾向があります。
組織の中は厳格な上下関係があり、権威者に無条件に従うように訓練され、自我を殺すこと(自己主張しないでガマンする)が美徳と教えられます。
人生は自らの選択で生きる荒野ではなく、網の目のように細かく決められたルールと自分に与えられた義務と仕事を果たす修行の場です。
自分の要求を貫いたり、自分で決めて行動することは「我がまま」であり、人に迷惑をかける悪い行為です。
この社会システムの中では、欧米人が基本的人権と呼ぶすべては「我がまま」となり、未熟さの証拠となります。
このシステムは息苦しい場所ですが、しかし、そこに慣れると外の世界を怖がるようになり、このシステムの中だけが安心だと考えるようになります。
それは終身雇用制や役所の就職を求める国民性に現れています。永遠に続く組織が与える安心(security)を求めるために、自由と正義を放棄するのです。
日本人の「仕方がない」という表現には深い意味があり、「ここ(会社、役所、学校、藩)は苦しいし、自分が幸福になれるとは思わない。
しかし、外の世界はもっと悲惨で、人を不幸にする。ここにいれば生活は保障される。だから文句を言ってはいけない」という考えが隠されています。
つまり、逃げ道がないために、そこで生き延びるために、長いものに巻かれてガマンする哲学が発達しています。
日本人が単身赴任で家族をバラバラにされたり、家庭の団欒をもてないほど残業したり、過労死するほど働かされても不平を言わない背景には、
ガマンの哲学と「組織の外では生きてゆけない恐怖」があります。リストラ(組織の外に放り出される)を極度に怖がり、自殺さえする人がいるのは組織の外の生活を怖がるためです。
289:名無しさんの主張
07/12/01 18:00:36 2y0KsNQY
日本人は盆栽の木とよく似ています。盆栽の木は鉢というフレームの中に閉じ込められ、行動と成長の自由を奪われ、盆栽の所有者を喜ばすために存在している。
権力者の好みの思想を植えつけられ、自分のアイデンティティをもつことができず、自分の人生をもつことができない。自然の木のように、自由に大きく育ち、自分のために生きれない悲劇がある。
しかし、鉢の中にいる限り生活は保障され、自然の木のような苦労はしなくてもいいという利点があります。
逃げ道のない盆栽システムで生きる日本人は、特に男性は「支持待ち人間」となり、男らしさや決断力の欠けた人間になります。彼らは生活の保障のために自由と正義を放棄するのです。
別の見方をすると、自分の個性(アイデンティティ)と良心を放棄していると言えるでしょう。
これは一種の精神的な纏足(女性の足を小さくする昔の中国の習慣)です。組織(鉢)の中にいるかぎり生活が保障されるが、しかし、成長の自由と可能性は奪われている。
盆栽は美しいが、しかし、本来の自分の姿とは違う。自由な自然の木(外国人)と比べると、むしろ、奇形(日本人)でもある。自由のない人間は自尊心がありません。
日本人に見られる白人に対する根深い劣等感は、自由と自尊心の欠如から生まれるものです。
日本人はどんな逆境においても「他の場所に逃げる」という自由がなく、その考え方が外国人との大きな違いになっています。日本人の幼児性と精神の特殊性は、逃げ道のない社会システムの産物でもあります。
URLリンク(www.sixam.co.jp)
290:名無しさんの主張
07/12/01 18:53:36
日本の自称リベラル派の欺瞞
ここで面白い話を一つ書く。そもそもアメリカ合衆国のリベラル派は、日本に「リベラル」派がいるなどとは
思っていない。「日本にも自分たち同様のリベラル派な人々がいる」などとはこれっぽっちも思っていない。
これまで一度たりともそんな風に考えたことはない。そもそも東アジアの一種族にすぎない日本人に、西欧型の
リベラリズムが理解できるなどとは考えない、という事だ。
そうすると、日本国内で自分のことを「私はリベラルで、反保守・反権力・反資本主義の人間だ」と考えて
いる大量の人々は、一体何なのだ、ということになる。日本にいる、朝日新聞と社民党(旧社会党)を代表する
リベラル派の反保守勢力といのは、欧米諸国から見れば「旧ソビエトや中国に同調してきた共産主義者がかなり
ソフトになっただけの人々」ということでしかない。長い間、こういう理解しかない。世界中のの人々が、
日本の自称リベラル派のことをそれ以上とは考えないのである。
この考えは、冷徹なまでに正しい。しかも、本物の西欧の古典的なリベラリズム(自由主義)と、現代の
「リベラル」派とは、似ても似つかぬものなのである。この話をすると複雑になるのでこの本ではやめるが、
つまりアメリカ人は、日本の社民党(社会党)やその他の反戦平和・環境保護団体などの「リベラル勢力」
のことを、世界水準のリベラル派だとは微かにも思っていない。
副島隆彦著 「日本の危機の本質」