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明治30年代、帝都を水害から守るために利根川水系にスーパー堤防建設が始まった
これは、下流(東京)で氾濫させる前に、「中流(群馬、埼玉)でわざと氾濫させることによって」
帝都のダメージを最小限に抑えるものだった。
その後、昭和まではこの計画通りに進んでいたが、カスリーン台風の予想外の被害によって
八ッ場ダムの計画が始まった、これは中流地域の「人身御供」を防ぐ目的もあった。
現に、明治40年代に作られた堤防は地盤沈下によって、その効果が低下しつつある。
このスーパー堤防の完成には、およそ100年かかると言われている。
つまり、ダムを作らないということはその100年間中流地域の住人は、
「東京都を守るための生贄」になることを強要されることになる。