09/12/01 00:33:39
<集団ストーカーの死 3>
比叡山の源信は二十五三昧会という念仏結社を結成し、メンバーの中から病人が出ると
「往生院」という部屋に移し昼夜を分かたず看病した。看病するものには、
死に行く病人に、意識にどのようなイメージが表れるかを聞き出す義務があり、
源信自身を含むメンバーの臨終の様子が記録に残されている。
その中には今日の臨死体験にも見られる好ましいビジョンもある一方
「地獄の業火みたいなものが身に迫ってきて苦しい」
と言っている人の記録もある。
(『生、死、神秘体験』立花隆対話編)
まだ生きているうちから地獄が始まるものさえいる。
まさにこれから地獄を見るストーカー犯罪者にとって明日は我が身。
自分が死に際に見る地獄を後輩の犯罪者に伝えてやるのが親切というもの。
まだ若い集団ストーカー犯罪者は、先に死んでいく先輩犯罪者の臨終にもつきまとい
どんな地獄を見るのか、さらに生体反応がなくなった後までも先輩犯罪者の
霊を追跡してこそストーカー根性が如何なく発揮できるんじゃないか?
覗きの対象の肉体が死んだらつきまといを諦めるなんて根性がない。
それとも、もうストーカー犯罪者の臨終の地獄映像は掌握されているが
彼らは根が臆病なので見ると大好きな犯罪ができなくなるから出回らないよう
隠しているのかな。