09/08/29 17:50:47
たとえば病院。
警察と病院の覚え書によって、警察は容易に病院という本来病気治癒という場所を監視の場所に変えてしまう。
防犯パトロールの要員が、患者へのボランティアという偽装の形で病院に入り込むのみならず、
病院職員自身たとえば看護師が入院病室の対象人物のそばで付きっきりで会話の立ち聞きをするのは日常茶飯事である。
日常的に展開されるこれらの人権侵害は、すでに「警察国家」の域に達している。
一般市民の人権意識は低く、まさかという反応と対応を示す。しかし、じっさいやられていることなのだ。
戦前の状況の経験や知識のある人は、気づくに違いない。
戦前の自警団・隣組に似ている、と。かつての市民は、異議を唱える自立心と勇気をもたなかった。
それゆえ、関東大震災において他民族への殺戮が行なわれたし、
鉱山労働の逃亡者へ鎌で追うようなこともした。
今の防犯活動の状況は、まさしくこれを彷彿とさせるものである。
全体状況を見回してみれば、いくら防犯といっても、これはやりすぎだ、ということに尽きる。
防犯パトロールはなかば小権力化しており、
「お上」の威光をかさに来て振る舞っているようにみえるし、このボランティア活動に、
ある特定の政治的団体が関与して容易に入り込み、権力化するという流れも疑われている。
宮城で問題となったように、もし情報非公開とされている報償費がこれらの防犯パトロールに使われているとしたら、
それは経済的にもバックアップされることであり、児童虐待通知義務法も検討される昨今、
市民は否が応にも「密告社会」に巻き込まれることになる。
(記者:森山つきた)
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