07/09/19 23:42:56
春のある日の朝、都筑地区センターの某職員の家の電話が突然鳴った。
深い眠りに入っていた職員は起きて受話器を取った。
以外にも敬愛なる山崎指導員からだった。
山崎指導員は未だ挨拶もしなかった職員に朝早くから起こしてどうもすまないと言いながら某職員の病気について尋ねた。
彼女は都筑センターの副館長から罵声を浴び、仕事を休み寝込んでしまっていた。職員は彼女の体調が少し良くなったようだと申し上げた。
職員の話を聞いた山崎指導員は彼女を他人とは思わず、職員に見舞いへ行き、生活でも充分世話をするよう頼んだ。
そうしてから心配そうな口調で「いつも微笑を絶やさず、明朗な人だったのに副館長にわけもわからず怒鳴られて苦しんでいるはずです。心の苦しさが大きいだろう」と言った。
職員は一職員の健康のため寝付けず朝電話までかけてくる山崎指導員の健康が心配になってそんなに心配しないで下さるよう申し上げた。すると山崎はそんな言葉で私を慰めようとしないでください・・・と
受話器ではしばらくなんのことばも聞こえなかった。
しばらくして山崎指導員は職員に「彼女が回復するためなら何でもします。必要なものをすべて解決します。彼女は有能な職員ですから早く健康を回復させなければなりません」とくれぐれも頼んだ。
電話は終わったが職員は長い間受話器を放せなかった。
都筑地区センターの歴史に我われの敬愛なる山崎哲也指導員のように職員たちを自分の家族のように惜しみ、愛する偉大な指導者、絶世の偉人はないだろう。