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4月30日 朝日新聞夕刊(東京版)文化面
「仁者の死」 作家 浅田次郎
井上ひさしさんが亡くなられた。
胸のうちには悲しみよりも、むしろ喪失感がまさって、その心の空洞をどうにも
埋め合わせられぬままに日々が過ぎている。
日本ペンクラブの会長を務めておられたころ、月に一度の執行部会の席には
必ず鯵の押鮨の折り箱を、山のように抱えてきて下さった。会議は午後の一番に
開かれるので、中には食事をすませていない人もいるのではないかという
思いやりである。鎌倉から日本橋まで、鯵の押鮨は井上さんに抱かれて旅を
してくる。他人の腹具合をいつも気にかけている人を、私はかつて知らなかった。
常に相手の身になって考える。常に他者の立場を忖度する。すなわち「仁」の
人であった。また「仁者は必ず勇あり、勇者は必ずしも仁あらず」という孔子の
言も、井上さんにこそふさわしかった。思いがけぬ果断と剛直を、いくども
目のあたりにした。「仁」の読みのひとつが「ひさし」であるのも、偶然ではない
ような気がしていた。
「仁」の文字は「二人の人」であり、社会を構成する最小単位を意味する。他者に
対する気遣いや思いやりや、真の訓導の絶えてしまった世の中で、儒家思想の
至高の徳目たる「仁」もまた、死語となってしまった。
井上さんが遺された作品は、けっして死んではならぬ「仁」の精神の表現であった。
そうしたあらたな作品がもう生まれないと思えば、やはり悲しみよりも喪失感が
まさるのである。