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以下の文章はナベツネが文芸春秋1974年7月号に寄稿した「青嵐会を論ず」という記事の一節
『青嵐会には低学歴者や専門技術教育を受けたものが多く、
近代市民社会の、言わば「我の自覚史」を経た一般教養は不足している傾向が多い。
だから「唯物論より唯心論をとる」といった十八世紀的な哲学水準以前の発想をする。
かくて彼らの道徳論は「教育勅語」的徳目主義のレベルを肥大化し、概念的な組織を持つことなく、
叫喚的スローガンに埋没することになる。
そしてこのような叫喚的スローガンは、都会のインテリ屋や主知主義的な中間層の反発は買うが、
中小企業、小売商、中下層の反主知主義的保守派などにはアピールし、
公明党や共産党に反発する下層階級にも喰い込み易いものとなり、
官僚派的保守派が通常不可能とするような大衆動員をも可能とするものである。』
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東大哲学科・教養主義者ナベツネの人を見下した表現は鼻につくが(当時は許される範囲だったのか?)、
四半世紀を経て、安倍や山谷や義家の反日教組議員、
今の自民党やチャンネル桜、西村修平一派に代表されるネットウヨクに見事に当てはまってる。