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産経抄 11月21日
昭和31年6月、当時の鳩山一郎政権は、教育委員を公選から任命制にする新教育
委員会法を強行成立させている。特に参院では当時の社会党が実力で阻止しようと
して衛視ら10人がケガをした。警察隊も導入され、国会史上有名な乱闘国会を招い
たのだ。
▼むろん非の多くは、乱闘を引き起こした野党の社会党側にあった。戦後教育を正そ
うという鳩山首相にとって何としても成立させたい法案だった。しかしその一方で、こ
の政権が意外なほど、保守合同直後の数に頼る強硬姿勢を貫いていたことも物語っ
ている。
▼そんな歴史を思い出したのは、孫の鳩山由紀夫首相の政権が発足後初めて成立
をはかった法案の採決をいきなり、強行したからだ。中小企業が受けた融資の返済の
猶予を求めるという、国民の賛否が分かれる法案だった。それをたった8時間の審議
で可決させたのだ。
▼与党・民主党は「自公政権もやってきた」と言うのかもしれない。だが、それでは政
治の変化を求めた支持者を裏切る。開き直りである。しかも問題は、この強行が法案
の責任者の鳩山首相ではなく、民主党の小沢一郎幹事長の主導で行われたらしいこ
とである。
▼小沢氏の政治の師だった田中角栄元首相も、最大派閥を率いることで退陣後も政
界に君臨した。「数がすべて」という論理がしみついているように見える。そう考えると、
この政権の政治手法はかつての自民党と変わらず、数に頼ったものになることを予感
させた。
▼もっとも祖父の鳩山政権はそのために国民の反発を買い、念願の小選挙区制導入
を断念する。それを知ってか、孫の鳩山首相は小沢氏に対して「国民はどんな反応を
するかなあ」と心配顔だったという。「語るに落ちる」とはこのことだ。