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産経抄 9月13日
大正時代、特に東京などの都会には新旧さまざまな「車」が混在していた。明治30年
代に初めて上陸した自動車は徐々に台数を増やし、自転車もハイカラ趣味として人気
があった。一方で人力車や大八車、馬車なども健在で、事故も絶えなかったという。
▼そこに加わったのがリヤカーだった。自転車の後ろにつけるように開発されたゴムタ
イヤの二輪荷車で、自動車や自転車と違い日本製である。それまでの大八車に比べ
荷崩れを起こしにくいうえに軽い。だから戦前、戦後を通じ日本人に重宝されつづけて
きた。
▼特に戦後は自転車と切り離し、人が引っ張って使うことが多くなった。農漁村では野
菜や魚を、都会では工業部品などをいっぱい積んで運び、引っ越しにも欠かせなかった。
「リヤカーのある風景」は、その時代を生きた人々にとって、忘れ得ぬものとなっている。
▼そのリヤカーが今、復権してきているという。クルマ社会の本格化で急速に影をひそ
めていたが、最近、都会の宅配業者の間などで再び使用されつつあるそうだ。電動アシ
スト自転車にくっつけたリヤカーで荷物を運び、オフィス街に届けているというのである。
▼クルマだと駐車する場所が少なくなり、小回りがきくリヤカーが日の目を見ることになっ
たらしい。クルマだらけの街角を自転車とリヤカーが走っている姿は、昭和世代にはホッ
とさせられる。もちろん排ガスはゼロだから、環境対策としても歓迎されるだろう。
▼とはいえ、エコ対策、中でも温室効果ガスの排出量削減は簡単にはいかない。特に
鳩山由紀夫次期首相が明言した25%削減は、相当に大胆な政策と国民の負担増が必
要だ。よみがえったリヤカーに過剰な期待を寄せるわけにもいかないようだ。