09/09/04 06:31:55 KCC6G/Ca0
【産経抄】9月4日
2016年の夏季五輪の開催地を決めるレースは、最終コーナーに入った。国際オリンピック委員会(IOC)が
公表した評価報告書を見る限り、4都市は横一線に並んでいる。東京については、世論の支持が他都市に
比べて少ないことを指摘しているのが気になる。
▼10月2日のコペンハーゲン総会では、誰が何をIOC委員に訴えるのか。最後のプレゼンテーション(説明)が、
勝負を決めそうだ。1964年の東京五輪開催は、その5年前のミュンヘン総会で決まった。
当初、説明するはずだった外務省参事官は、けがで“欠場”を余儀なくされる。
▼ピンチヒッターを務めたのが、NHKの名解説委員として知られ、後に小紙の論説顧問も務めた平沢和重だった。
「西洋では、私たちの土地を『ファー・イースト(極東)』と呼ぶ。だが、今はジェット機時代、距離は『ファー(遠い)』ではない。
遠いのは、国と国、人間と人間の理解なのだ」。平沢は、アジアで初めて開催する意義を強調した。
▼45分の持ち時間のうち、15分しか使わない名演説だった。その前のライバル都市の演説が、
冗長だったので余計に効果的だった。「スカートとスピーチは短い方がいい」。言いふるされた言葉は、正しかった。
▼勝因はもうひとつあった。演説の前に平沢が、「日本オリンピックの父」といわれる嘉納治五郎の最期を見届けた人物、
と紹介されたことだ。嘉納は、38年のIOCカイロ会議で、幻に終わった東京五輪開催のために熱弁をふるい、帰国途上の船で生涯を終えた。
▼その船に乗り合わせていたのが、若き外交官の平沢だった。委員がその因縁に、嘉納の執念を感じないはずがない。
平成の東京五輪にも、そうした「物語」が欲しい。