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【産経抄】9月1日
2009.9.1 02:57
民主党の小沢一郎代表代行は、尊敬する政治家として、「平民宰相」と親しまれた原敬
(たかし)の名前をたびたび挙げる。その原の終生のライバルといわれたのが、大正末期
に首相を務めた加藤高明だ。
▼首相在任中、病をおして議場に出て倒れ、まもなく非業の最期を遂げる。普通選挙法
を実現して、国民に政治参加への道を開く一方で、治安維持法によって、言論弾圧のきっ
かけも作った。野党党首として総選挙に勝ち、政権を獲得した初めての政治家でもある。
▼民主党による政権交代が現実味を増してくるにつれて、その存在がクローズアップさ
れてきた。総選挙が終わった今となっては、野党に転落した自民党が、手本とすべき人物
ではないか。三菱財閥の創始者、岩崎弥太郎に見込まれて娘婿になり、外交官時代は、日
英同盟を推進した。
▼ただ無愛想な性格が災いして、政治家としては遅咲きだった。藩閥政府への反発こそ
共通しているものの、時に元老のふところに飛び込んで、政策を実現してしまう原のよう
な芸当はとてもできなかった。
▼大正6年の総選挙では、党首を務める憲政会が大敗を喫してしまう。「苦節10年」
の始まりだった。原が率いる政友会が、ばらまき型の経済政策をとるのに対して、加藤は、
愚直に行財政改革を訴えた。離脱者を出さないよう細心の注意も払った。この野党時代が、
加藤の政治技術を磨いた、と奈良岡聰智(そうち)京大准教授は『加藤高明と政党政治』
のなかでいう。
▼きのうの麻生太郎首相の会見を聞いても、自民党惨敗の主因が、人材不足であること
は明らかだ。野党の経験は、新たなリーダーを育てるチャンスでもある。勝ち残った議員
のなかに、磨けば光る原石が見つかるかどうか、それが問題だが。