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【産経抄】8月25日
日本でも人気の高いオリエント急行が、今年12月に運行をやめ、126年の歴史に幕を下ろす。
英国紙の報道を聞いて、エッセイスト、須賀敦子の『オリエント・エクスプレス』という作品を思いだした。
▼長く暮らすイタリアから、たまに帰国するたびに持参するおみやげを、須賀の父親は喜んだことがない。
ところが、死を間近に控えたころになって、オリエント・エクスプレスのコーヒーカップを買って帰ってほしい、といってきた。
須賀の父親は戦前の1年間、ヨーロッパで暮らしたことがある。
▼パリを出発、シンプロン峠を越え、ミラノ、ヴェネツィア、トリエステを経由して、イスタンブールに向かう。
若き日の旅の思い出を、子供たちに何度も語ってきた。「父はこの列車の名を、
彼だけが神様にその在りかを教えてもらった宝物のように、大切に発音した」という。
▼食堂車のテーブルには、純白のテーブルクロスがかけられ、銀食器のセットが、
シャンデリアの光を反射して輝いた。客室のソファは、夜にはベッドに早変わりし、
調度はマホガニー製で、床にはトルコ絨毯(じゅうたん)がしかれた。
▼文字通りの超豪華列車は、王侯貴族から外国人留学生まで、多くの人々を魅了してきた。
アガサ・クリスティもその一人だ。離婚で傷ついた心を、この列車で旅することで癒やし、
やがて『オリエント急行の殺人』に結実する。
▼須賀は、ミラノ駅に停車するオリエント・エクスプレスの車掌長に直接、交渉することにした。
恰幅(かっぷく)のいい車掌長が、白いリネンのナプキンにくるんだ包みを須賀に渡す場面は、
まるで古きよき時代の名画を見るようだ。そんなヨーロッパ文化の奥深さを教えてくれた須賀が、
この世を去ってから、もう11年になる。