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産経抄 8月8日
古い傷跡に触れるようで恐縮だが、大原麗子さんと森進一さんが離婚したとき森さん
の方の記者会見を聞いた。理由を聞かれ「私は家庭に恵まれていなかったので」と切
り出した。「仕事から帰れば電灯がついているような家庭がほしかったのです…」と。
▼同世代人としては分かる気もした。だがそう言うと、同僚の女性記者から「男の身
勝手でしょう」と一蹴(いっしゅう)された。大原さんも記者会見で「家庭は安らぎと分か
っていても、仕事が入ると忘れてしまう」と語った。森さんの望みには応えられないと
いうことだった。
▼その大原さんが亡くなっていたと聞いて、悲痛な思いにとらわれた。死後約2週間
がたち、弟が警察官とともに合カギで部屋に入るまで、誰にも気づかれなかったという。
手足に力が入らない難病を患い、闘病生活の末のひとりぼっちの死だったらしい。
▼一時は母親の介護もしていたが、森さんとの離婚後はほぼ1人で「仕事が生き甲斐
(がい)」という生き方を貫いてきた。それが「麗子ファン」には、魅力のひとつだったよう
だ。それでも時には「家庭」に甘えたくなったのではないのか。勝手ながらそう思うと何
とも切ない。
▼折しも来週後半からは、一部の地域を除き月遅れのお盆である。亡くなった先祖の
霊を「家」に迎え、食事などでもてなしながら一家水入らずの時を過ごす。そのために
奉公に出た若者が一時帰宅を許される藪(やぶ)入りの風習が生まれ、現代の「帰省」
につながっている。
▼時代がいくら激しく動いても、このお盆や帰省の風習があまり変わらないのは不思議
である。日本人が心のどこかでまだ「家」や「家庭」の温かさを求めているからなのかも
しれない。年に1度か2度でもいい。そのことを考えてみたい。