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関西大学社会学部長 黒田勇教授
ステレオタイプ化された大阪人を受け入れた大阪
URLリンク(www.kansai.gr.jp)
私は昭和26年、大阪生まれ、大阪で育って、大阪の大学で働いています。
非常に大阪に愛着があるのですが、高校時代、自分が思っていた大阪と、1990年代以降、
テレビを通して見る大阪というのが非常に違うことに気が付きました。
そのことにものすごくいら立ちを覚え、「メディアの中に登場する大阪とは何だろう」という研究をしていると、
メディアが良心的な気持ちで大阪を描いたとしても、それは何か変だぞというのが幾つかありました。
それは経済が東京に集中し、放送局のキー局にもいろんなものが集まり、
さらに放送が70年代以降、娯楽化したことがあります。
なかでも吉本興業の東京進出というのが大きく影響しているだろうと思います。
大阪・関西というイメージを、吉本を通して放送局、テレビ局が利用すると、
その一部のイメージだけを非常に強調してしまったのが90年代以降だろうと考えております。
2000年代になると、「東京のまなざし」との言葉を私は使っていますが、
東京のメディアから見る大阪とか関西のイメージを大阪の人々が内面化している、
受け入れてしまっているのではないかと感じています。
つまり、自分たちを東京のメディアが語る大阪で語ってしまうという現象が起こっているのです。
世界でも類を見ないぐらいあまねく日本中の人たちが、同じ文化を共有して、
同じような言葉を話していますが、これは50年間にわたってつくり上げた放送のプラスの面です。
ただ、一方で無理な共通文化をつくるために、共通でないイメージを無理やりつくり上げていった。
「都会と田舎の対立」や「特定の意味合いの方言を使用」などです。