コミンテルンと大東亜戦争【田母神閣下支持】at MASS
コミンテルンと大東亜戦争【田母神閣下支持】 - 暇つぶし2ch86:田母神閣下支持
08/12/24 19:42:24 5WyVnnR50
自らの身は顧みず 田母神俊雄著
URLリンク(www.web-wac.co.jp)
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)

「日本は素晴らしい国だ」 「侵略国家などではない」
と言った私は、航空幕僚長を解任された。しかし、国益を損なうと思ったことについては、日本の
立場をきちんと主張しなければならない。国家防衛の基盤は愛国心である!

■中西輝政氏 京都大学教授
重要なのは、「日本だけが侵略国家ではなかった」という点だ。 東京裁判史観を支える論者には、
常に国際的視野が欠けている。

■高山正之氏 ジャーナリスト
中国に行って、軍の幹部に、「中国の歴史認識は間違っている」と断言した田母神氏。 媚中政治
家は田母神氏の爪の垢でも煎じて飲め。

■小林よしのり氏 漫画家
田母神前幕僚長は大したもんだ。 へなちょこの政治家に比べて、サムライの気構えを感じる。
自衛隊の思想統制を絶対に許してはならない!

■日下公人氏 評論家
空幕長更迭は悲しい事件である。 今回の更迭による士気の低下を、マイナス30%とすれば、自
衛隊の損害は37兆5千億円にあたる。

URLリンク(www.exblog.jp)
URLリンク(www.exblog.jp)

87:文責・名無しさん
08/12/24 19:45:28 DDmQPla70
>>86
>「侵略国家などではない」

結局そう言ってるのかよ。どっちなのかハッキリしろよ。
こういう調子では、
慎重な人は賛成も反対もできない。

88:田母神閣下支持
08/12/24 21:22:54 5WyVnnR50
月刊WiLL | 最新号目次
URLリンク(web-will.jp)

新春特大号!
総力大特集 田母神論文を殺すな!

憤激対談 
■小林よしのり・田母神俊雄
憲法に書かずに文民統制もへったくれもない

■櫻井よしこ
誰もわかっていない「文民統制」

■渡部昇一
ヒトラーも「文民」だった

■潮 匡人
防衛音痴のアホ、バカ文化人・言論人

■柿谷勲夫
軍の尻を叩いた朝日新聞

田母神論文、読者投稿 
■読者はこう考える10編

89:文責・名無しさん
08/12/24 21:53:10 dvLwLnKjO
糞拭き神より、奥崎謙三のほうが立派です。

90:東亜連盟
08/12/24 23:56:35 9OJIxE5I0
WiLLは恥ずかしくないのかな?視野が狭すぎるよ、世界には色々な考えを持った
人・国があるのに、こんな事をしていたら日本の独立も安全も守れない。
 平和ボケってこういう事を言うんだ。

91:文責・名無しさん
08/12/25 00:03:38 DDmQPla70
>>90
Willって要は金が儲かればなんでもする雑誌なんでしょ。


92:文責・名無しさん
08/12/25 04:26:31 XklxUuoa0
>>88
■秦 郁彦
陰謀史観のトリックを暴く

これをカットしている段階でお里が知れる

93:文責・名無しさん
08/12/25 09:26:31 +su2vUcb0
>>90
視野が狭いのはコミンテルンの陰謀

94:コミンテルン
08/12/25 16:55:06 qdz32vLV0
田母神史観
①気に食わないやつは皆コミンテルン
②歴史学的に承認されていないことも確定されたことにしてしまう
③一次資料・学術書(論文)にあたろうとしない
④現在の国際体制がWW2での連合国の勝利に基づくことを理解していない
⑤毅然とすればなんでも解決できると思ってる
⑥定職についていない。更迭されたのは左翼の所為だと信じて止まない。
⑦嫁に逆らえない
⑧日本会議の講演しか呼ばれたことがない。
⑨年賀状やクリスマスカードには真の近代史観を載せる。
⑩人の前では調子のって喋りまくる。
何か問題でも?


95:田母神閣下支持
08/12/25 20:23:48 GLjxubNo0
【書評】『日本は「侵略国家」ではない!』渡部昇一、田母神俊雄著 2008.12.21
URLリンク(sankei.jp.msn.com)

 先の大戦を「日本の侵略だった」とする見方を真っ向から否定した懸賞論文を発表した航空自衛隊
の田母神(たもがみ)俊雄前空幕長と、論文の審査委員長で保守の論客、渡部昇一氏の共著。

 どのような経緯で田母神論文が最優秀作と決まり、空幕長職の解任劇につながったのかを説明。
論文内容のどこが問題視されたのかを丁寧に解き明かしながら、日本が「侵略国家ではない」ことを
力説する。

 両氏に共通するのは祖国を愛し、「ゆがんだ歴史認識が国を滅ぼしかねない」と危ぶんでいることだ。
中でも、歴史認識についての政府見解である「村山談話」を痛烈に批判する。

 田母神氏は「ゆるぎない愛国心こそが国を守る原動力だ」と訴える。文民統制や国防のあり方を考える
ヒントが詰まった一冊だ。22日発売。(海竜社・1260円)



日本は「侵略国家」ではない!渡部昇一 田母神俊雄 海竜社 (2008/12 出版)
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)

96:文責・名無しさん
08/12/25 20:42:54 ZnNcEGk50
>>95
ほい2箇所以上にコピペしたね。
通報通報っと。
お前が俺と違うプロバイダであることを祈ってるよ。

FOX★「政治厨はうざすぎ。政治系コピペは徹底的に排除する。2レスでも規制」
スレリンク(news板)
★081224 複数「日本人の方は拡散願う」マルチ報告(再々々々発)
スレリンク(sec2chd板)

97:田母神閣下出演予定
08/12/25 21:13:24 GLjxubNo0
日本文化チャンネル桜

平成20年12月29日(月)から平成21年1月3日(土)にかけての1週間、チャンネル桜では、
年末年始特別編成 にて番組をお送りいたします。

1月2日(金) 19:30-20:30
新春特別企画 「日本の現在と未来を語る」 パート1
1月3日(土) 19:30-20:30
新春特別企画 「日本の現在と未来を語る」 パート2

 戦後レジームの大いなる矛盾を見事に白日の下にさらし、真に日本を思う人々を勇気づけられた
 前航空幕僚長の田母神俊雄氏をお迎えし、この国の現状と未来についてじっくりと語り合った
 新春特別企画をお送りします!

■出演
 田母神俊雄 (前航空幕僚長)
 中條高徳 (日本戦略研究フォーラム 会長)
 渡部昇一 (上智大学名誉教授)
■司会進行
 丹羽文生 (拓殖大学海外事情研究所客員研究員・東北福祉大学講師) ※ パート1のみ
 水島 総 (日本文化チャンネル桜 代表)

※ 1月2日(金) So-TV 配信予定
※ 番組内容は変更になる場合もございますので、予めご了承ください。

98:文責・名無しさん
08/12/26 19:44:16 BKsJdWKj0
 
田母神俊夫の重大疑惑「M資金」
URLリンク(www.veoh.com)

99:文責・名無しさん
08/12/27 03:39:38 vlP2z5L7O
‘タモリ’神は
笑え!


100:文責・名無しさん
08/12/27 03:40:30 vlP2z5L7O
100


101:張作霖爆殺とコミンテルン
08/12/27 18:13:05 PJjo5nUp0
Will オトナの常識[月刊ウイル]2009年1月号(2008/11/26発売)
URLリンク(web-will.jp)

■中西輝政 田母神論文の歴史的意義
(張作霖爆殺とコミンテルン)

 21世紀に入って、ロシアでは「張作霖爆殺はコミンテルン(正確にはソ連軍諜報部)がやったもの
である」という研究や報道が次々と現れ始めた。確定的な一次資料は未だ出ていないが、「日本軍の
仕業」として断定出来なくなってきているのである。
 またロシアでの議論に加え、近年、この時期のイギリスの情報部資料が出てきたが、張作霖爆殺
については、当時、イギリスのMI2c(陸軍情報部の中の極東課)が中心になって調査し、事件直後
「ソ連の仕業ではないか」という第一報を送っていたことが明らかに成った。
 その後、彼らは東京から入る外交報告で、「日本は自分たちがやったと思っていて、内閣も宮中も
大騒ぎになっている」ことを知り、実際に張作霖爆殺を起こしたのは誰なのか、ということを更にその後、
延々4ヶ月間に渡って調査している。
 そして4ヶ月後の1928年10月、まとまった報告書を提出し、そこで「ソ連が主役だ(protagonist)」
と結論し、書き送っている。つまり、関東軍もかんだかも知れないが、ソ連(コミンテルンないしソ連軍
諜報部)が主役だったという結論を出しているのである(その文書番号はWO105-5750, MI2c Note
19 October, 1928)。

 こういう文書、史料がようやく今、読めるようになり、それらを検討していくのはこれからの仕事であっ
て、今や「確定している」というのはまかり間違っても言えないことなのである。つまり、日本の歴史教科
書や多くの昭和史の本は、これまでの「確定」調では書けなくなってきているのである。

102:文責・名無しさん
08/12/27 18:19:45 BWtHvaiE0

WiLL二月号で秦に完全論破されてしまいましたとさ。

103:文責・名無しさん
08/12/27 23:27:20 goKWcsxN0
>>102
コミンテルン工作員の秦の妄言なんか信じてるのか?ププププッ

104:マッカラム覚書
08/12/28 00:34:55 1Umq1WE20
Will オトナの常識[月刊ウイル]2009年1月号(2008/11/26発売)
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■中西輝政 田母神論文の歴史的意義
(新史料「マッカラム覚書」)

 ルーズベルトの対日政策をみる時、特別に重要な部署であった海軍情報部の対日責任者、マッカ
ラム少佐が1940年10月に書いたこの覚書は、簡単に言えば、「三国同盟を結んだ日本はアメリカが
政策転換(欧州参戦)を行う上で非常に都合のよい位置に自らを投げ入れた。日本を追い詰めていっ
て日本から先に攻撃に出ざるを得ないような事態を作り出せば、ルーズベルト大統領の最大の悩み
(アメリカ世論が欧州参戦に反対という問題)が解決できるだろう。その為には次のような政策がある。
第一に・・・」というような主旨で8項目を挙げている。
 その8項目の殆どはその後の1年でほぼ実施されているが、一番典型的なのは「在米日本資産凍結」
と、オランダやイギリスと一緒になって行った「対日石油禁輸」である。明らかに、これを行うと「日本は必
ず暴発する」という考えで書かれている。

105:文責・名無しさん
08/12/28 02:34:31 XNMbKosH0
>>103
こいつ、ただの馬鹿?

106:陸軍長官スチムソン
08/12/28 11:29:37 9F4zVpsv0
Will オトナの常識[月刊ウイル]2009年1月号(2008/11/26発売)
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■中西輝政 田母神論文の歴史的意義
(いかに日本を追い込むか)

 あるいはルーズベルトの信任厚い陸軍長官スチムソンは1941年10月、アメリカは第二次世界大戦
への参戦を可能にする為に、米海軍の基地があるフィリピンを日本に奇襲攻撃させるよう仕向けるべき
だ、とはっきり述べている(Stimson Diaries, October6&16, 1941)。更には11月25日の閣議でルーズベ
ルトは「問題は、いかにして日本に最初の一発を撃たせるように追い込んでゆくかである」と語っている
(同右、November25, 1941)。
 その上、ハル・ノートを用意していることが明らかになった時点で「我々は裏口のドアから参戦するのだ」
ということを閣僚同士が話している史料も残っている。
 これらがアメリカ側に「日本を罠に嵌める」とか「欧州参戦のために日本を暴発させる」という戦略があっ
たということの雄弁な根拠だと私は考える。これすらも否定するとすれば、「私は今から日本を罠に嵌めま
す」というルーズベルト自身が書いた文書でも見つからない限り、この間のアメリカの策略については語れ
ないということになる。
 「マッカラム覚書」はルーズベルト自身の目にとまり承認された可能性がかなり高いものだと言えるが、
それすらも無視する人々は、一体何が出てきたら田母神論文の批判派が言う「通説」を改めるのであろう
か。

107:近衛上奏文
08/12/28 12:25:53 9F4zVpsv0
Will オトナの常識[月刊ウイル]2009年1月号(2008/11/26発売)
URLリンク(web-will.jp)

■中西輝政 田母神論文の歴史的意義
(「近衛上奏文」も無視)

 先に蒋介石もコミンテルンによって動かされたと述べているように、「コミンテルン」(狭義のコミンテ
ルン以外に、KGBの前身たるソ連情報部そしてGRUすなわち赤軍諜報部そしてGRU即ち赤軍諜
報部を含む)という存在が日本と大東亜戦争を考える時、非常に重要な存在なのだが、田母神論文
はこれを総称して「コミンテルン」の果たした役割の重要性を繰り返し訴えているのである。
 これは当にソ連崩壊後に出てきた「コミンテルン」ないしソ連諜報機関の活動に関する文書が、近
年広範に読めるようになった新しい歴史研究の成果を踏まえて論文を書いているということだ。
(中略)
 蒋介石もルーズベルトも「コミンテルン」に動かされていたが、忘れてならないのは、実は一番動か
されていたのが日本の近衛内閣であったことだ。そのことを近衛文麿公は昭和20年になって知った
ため、既に自らの政権におけるコミンテルンの暗躍から8年近くも経ち、時既に遅かったのである。

108:ルーズベルトの昭和天皇宛親電
08/12/28 18:05:08 9F4zVpsv0
防人の道 今日の自衛隊 -平成20年12月26日号 ゲスト:杉原誠四郎(歴史学者・評論家)
URLリンク(www.so-tv.jp)<)

〈特別読物〉一挙100枚! 日米開戦最後の秘密
 ルーズベルトの昭和天皇宛親電はどうなったか
 なぜ戦争回避につながる親電案を用意したのか。“工作”を読み解く
 歴史学者・評論家 杉原誠四郎

日米開戦以降の日本外交の研究 (新訂版) 杉原 誠四郎【著】
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)

109:ルーズベルトの昭和天皇宛親電
08/12/28 19:08:05 9F4zVpsv0
防人の道 今日の自衛隊 -平成20年12月26日号 ゲスト:杉原誠四郎(歴史学者・評論家)
URLリンク(www.so-tv.jp)
★平成20年12月26日★

■ルーズベルトの昭和天皇宛親電
10.18 東条英機内閣成立
11.15 来栖三郎、ワシントンに赴任
11.23 朝河貫一、「天皇宛親電案」 作成
11.25 軍事会議で日本に最初の一弾を撃たせる相談をする
11.26 栗栖、東郷茂徳外相に親電構想の意見具申
 ハル、ハル・ノートを日本に突きつける
11.27 野村、栗栖、ルーズベルト大統領と会談
11.27~28 ウォーナー、複数の政府高官に親電案を渡す
11.28 東郷、親電構想拒否の回答
 軍事会議でルーズベルト大統領、親電構想を打ち出す
11.29 天皇宛親電(第一次案)できる
12.3  ジョーンズ、ルーズベルト大統領と会う
12.4 シカゴ・トリビューン、「戦争計画」を暴露

110:近衛上奏文
08/12/28 19:50:31 9F4zVpsv0
Will オトナの常識[月刊ウイル]2009年1月号(2008/11/26発売)
URLリンク(web-will.jp)

■中西輝政 田母神論文の歴史的意義
(「近衛上奏文」も無視)

 「近衛上奏文」は、近衛首相自ら天皇に対して「上奏文」という極めて重要な形式を取って提出した
文書であり、しかもその内容については東条内閣以降、戦争の成り行きを非常に懸念していた吉田
茂などの国際情勢に最も精通している人たちが参加して、その案文を作ったのである。これを一顧だ
にしないかのような姿勢で戦後史家は通り過ぎ、あたかも見て見ぬふりをしている。
(中略)
 この上奏文は周知のように、日本の内閣の中枢や軍の大きな動きの背景に、実はその中に紛れ込
んでいた「コミンテルン」の工作員たち、例えば尾崎秀実やゾルゲのような者が多くいて、「そのような
見えない力に私は動かされていたように思います」という主旨で、かっての自分の政権の中にも多くの
隠れ共産分子がおり、日本を罠に陥れていったことが今になって分かってきたとして、敢えて自らの不
明を詫びつつ、しかもそれを天皇に上奏したものである。
 これはゆるがせに出来ないものだと思うが、「近衛上奏文」の背景或いは近衛、特に吉田茂らが言わ
んとしたことをきちんと検証した戦後の歴史家は一人としていないし、彼らにそうしたことを気づかせた
根拠に関し、国際的にどのような資料があったのかを調べた人もいない。

 これには戦後、隆盛を誇ったマルクス主義史観からの反撃を恐れ、遠慮してきたことが大きな要因だ
ったと思われる。強大なマルクス主義史観の歴史学会や、それに影響されるマスコミ出版会に遠慮して、
ソ連の工作が日本を動かしていたとか、尾崎秀実は日本を裏切っていたことを採り上げ、戦前の日本
政府内に潜行していた共産系の工作について悪口を言うことが出来なかった名残であろう。

111:文責・名無しさん
08/12/28 20:22:22 H3VdZCsx0
上記は全部妄想。
詳しくはWiLL2月号でw

112:東亜連盟
08/12/29 01:43:39 gGYHAXn10
  コミンテルンの陰謀だと、60年前の事で騒いでいる人達の気は確かなの?
 その当時の指導者の連中は、コミンテルンの陰謀から日本を守れなかったのだよ、共産主義者に対し頭脳戦、
情報戦で負けたのだよ。相手が悪いのでは無い謀略に負けた方が悪いのだ。
 謀略のせいで宣戦布告したので自分達は悪くないとでも主張するつもりなの?国際社会がそれを許すとでも
思っているの?日本は日露戦争の時、ヨーロッパで大謀略をしたのだよ、それでソ連が生まれたのに、日本の
謀略せいだと、何処の国も日本を責めたりしないでしょ。
  

113:文責・名無しさん
08/12/29 22:16:37 Wg99ciFx0
河本大作ってコミンテルンの工作員なのか

114:文責・名無しさん
08/12/29 23:32:43 ncz8fUaf0
田母神が理解できない奴はこれ見て歴史の真実を知れよ
恥ずかしいぞ
どうせ在日朝鮮人かシナ人だろうが

URLリンク(jp.youtube.com)
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115:ラストボロフ事件
08/12/30 00:44:53 Hf3ZsEI00
警備警察50年◆現行警察法施行50周年記念特集号◆
URLリンク(www.npa.go.jp)

第2章 警備情勢の推移 対日有害活動
URLリンク(www.npa.go.jp)
1 ロシアによる対日有害活動
(1)ラストボロフ事件(昭和29年1月24日 米国に亡命)

この事件は、ソ連の情報機関員とみられる
 在日ソ連通商代表部二等書記官 ユーリー・A・ラストボロフ(当時32歳)
が、日本の内外政策に関する情報収集の任務を帯びて来日し、外務省、通産省事務官等多数の日本
人エージェントを使って情報収集活動を行っていたスパイ事件である。
ラストボロフは、昭和29年1月24日、米国に亡命し、記者会見に於いて、日本に於ける情報収集活動
の実態を明らかにした。ことに、終戦後のシベリア抑留中の日本人に対するエージェント工作の実態を
暴露し、昭和25年までにソ連のエージェントとなることを誓約させられた日本人は約500人、その他の
情報提供者を含めた潜在エージェントは8,000人以上に達することを明らかにした。

戦後の外事事件―スパイ・拉致・不正輸出 外事事件研究会【編著】
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)

↑コミンテルンは1943年に解散したが、上記の如く旧ソ連が操る対日有害活動エージェントは昭和29
年の時点に於ては8,000人以上に達し、特に約500人は誓約帰国者として運用されていた。
戦後日本は、アメリカのGHQ、旧ソ連のエージェントなどが入り乱れるスパイ天国となっていたのである。
今なお、コミンテルンの影響力は強力に残っている。

116:文責・名無しさん
08/12/30 01:16:45 mIwHvTaD0
田母神俊雄講演、「日本は侵略国家であったのか」

URLリンク(www.nicovideo.jp)

117:文責・名無しさん
08/12/30 02:33:04 mIwHvTaD0
これもいいな
若者へのメッセージ、田母神俊雄氏

URLリンク(www.nicovideo.jp)

118:文責・名無しさん
08/12/30 05:40:34 4rDPa5FpO
パナマ運河の権益は?
パナマ事変で
パナマ建国

スエズ運河の権益
オスマントルコから
エジプト帝国建国
ナセルの違法行為に
英仏は自衛戦争開始


119:文責・名無しさん
08/12/30 05:42:47 4rDPa5FpO
ソ連が占領して
外蒙古、北朝鮮、東ドイツ建国。

満州建国とどうちがう?


120:文責・名無しさん
08/12/30 06:01:30 4rDPa5FpO
第一次世界大戦後
大陸では
偏狭で排他的な民族主義が勃興!
ハルピン政府も奉天政府も南京政府も山西政府も
国際法や条約を破る
無法者軍閥政府
日本人迫害と日本権益侵奪は満州軍閥と荘介石国民党軍閥ファシズム政府による平和と人道に対する罪
満州事変は自衛行為で
解放戦争
1921年~1931年迄に1000件以上の日本人殺害事件は満州でおこっていたが
日本外務省は事あるごとに
話し合い、国際協調外交などと軟弱外交炸裂!
何も解決しなかったし
事件再発を防止に役立たず。
関東軍の国民の評価は高い支持率。

121:文責・名無しさん
08/12/30 06:10:29 4rDPa5FpO
日本国内では
政界官界財界の腐敗堕落 労働争議と農村の貧困と疲弊、朝鮮人の犯罪やテロ、共産党のリンチ事件
閉塞感に圧迫され
右翼は日本を離れ大陸浪人で放浪


122:文責・名無しさん
08/12/30 06:19:33 4rDPa5FpO
5・15事件

被告人達は裁判で
弁護士を拒否
堂々と犯罪の動機を
法廷で主張
青年将校達への評価は
大衆からの支持へと現れ、減刑を求める嘆願書への署名は革命的国民運動となる。
腐敗した金権政党政治家に期待するのは一握りのブルジョアだけで、デモクラシィ的政治家を信頼信用する馬鹿な国民はいない程、成熟してきた。

123:文責・名無しさん
08/12/30 11:01:28 6FUVzGgU0
>>110
中西のこんないいようは、歴研系統はもちろんだが、秦郁彦や伊藤隆をも馬鹿扱いしている
ことになるのだが。

それはともかく、コミンテルンの陰謀によって太平洋戦争に突入し、その結果植民地が解放されたなら、
コミンテルンの陰謀は良かったという結論になりそうなのだが、どうして右翼の皆さんはそういわないの?

124:文責・名無しさん
08/12/30 11:02:54 6FUVzGgU0
ともかく中西のやっていることは、猪木正道、高坂正?と続いてきた京大保守政治学の伝統に
泥を塗る行為としか思えない。

125:文責・名無しさん
08/12/30 14:30:57 JnffAKKQ0
>それはともかく、コミンテルンの陰謀によって太平洋戦争に突入し、その結果植民地が解放されたなら、
>コミンテルンの陰謀は良かったという結論になりそうなのだが、どうして右翼の皆さんはそういわないの?
 頭が悪いから右翼なんだから、そんな難しい事理解できない。

 中西はとにかくバカだよ。

126:ゾルゲ事件
08/12/30 23:27:37 Hf3ZsEI00
戦後の外事事件―スパイ・拉致・不正輸出 外事事件研究会【編著】
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)

Ⅰ ロシア(旧ソ連)関係諜報事件 参考1 ゾルゲ事件 昭和16年10月18日 警視庁検挙

 この事件はソ連の情報機関員とみられる
   ドイツ新聞日本特派員 リヒアルト・ゾルゲ (ドイツ人 当時46歳)
を中心に外国人、日本人で組織された在日スパイ組織が、8年間にわたって我が国の政治、経済、軍事
などの機密情報を収集し、ソ連に報告していたスパイ事件である。
 ゾルゲは昭和8年9月、ドイツ及びオランダの新聞社日本特派員として身分を偽装する一方、ナチス党
員の資格を持って入国し、新聞記者で後に内閣嘱託、満鉄調査部嘱託となった
   中国問題評論家A(=尾崎秀実)
ら日本人、外国人多数で構成するスパイ網を組織し、日本の対ソ攻撃計画に関する情報収集を任務とし
て活動していた。
 ゾルゲはドイツ共産党からソ連共産党に転籍したソ連スパイであるが、ドイツ政治学博士の学位を有し、
偽装の為ナチス党籍を獲得し、かつ、有数の東洋通であったことから在日ドイツ大使館の信任も厚く、日
本の中枢部に入り込み、我が国の政治、経済、軍事などの機密情報を収集し、無線電信などによりソ連
に報告していた。
 ゾルゲが我が国に派遣された昭和8年から16年に至る時期は、第二次世界大戦勃発前後の最も複雑
な国際情勢にあり、ゾルゲの広汎、緻密な情報は、ソ連の政策決定に大きな影響を及ぼしたと見られる。
 特に、昭和16年、ゾルゲは今まで集めた情報の分析に基づき、
 「日本は南進政策を採り、ソ連攻撃の意図は無い。」
と、本国へ打電し、ソ連はこの情報により、当時我が国を警戒してソ連シベリア国境地帯に配備していた
ソ連軍の部隊をヨーロッパに移動増強する事が可能となった。

127:文責・名無しさん
08/12/31 00:13:13 gbBOOf9c0
山上たつひこ『光る風』。名作だお

128:レフチェンコ証言問題
08/12/31 00:25:35 BYUje7eK0
戦後の外事事件―スパイ・拉致・不正輸出 外事事件研究会【編著】
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)

Ⅰ ロシア(旧ソ連)関係諜報事件
 参考2 レフチェンコ証言問題 昭和57年12月9日 米国下院情報特別委員会公表

 レフチェンコ証言問題は、KGB情報機関員である
   ノーボェ・ブレーミヤ誌(「新時代」)東京支局長 スタニスラフ・A・レフチェンコ (当時38歳)
が米国に亡命し、米国下院情報特別委員会で、ソ連のアクティブ・メジャーズ(政治工作)につい
て証言を行い、多数の日本人エージェントを運営していた実態を明らかにした事案である。
 レフチェンコは、昭和50年2月に来日し、日本の各界に対し、
  ・日本、米国、中国の離間
  ・親ソ連ロビーの扶植
  ・日ソ善隣協力条約の締結
  ・北方領土返還運動の沈静化
等を狙いとした政治工作を行う事を任務とし、昭和54年10月、米国に亡命するまでの間に11人
の日本人エージェントを直接運用していた。
 レフチェンコは、その証言の中で、日本人エージェントのコードネームを示し、著名な政党の人物
やジャーナリストが含まれていることを明らかにすると共に、これらのジャーナリストは、自民党や
閣僚メンバーを含む上級政府職員とハイレベルの接触があり、日本政府の内外政策についての秘
密の口頭情報や資料の提供を受けたことを証言した。

129:レフチェンコ証言問題
08/12/31 01:16:10 BYUje7eK0
戦後の外事事件―スパイ・拉致・不正輸出 外事事件研究会【編著】
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)

Ⅰ ロシア(旧ソ連)関係諜報事件
 参考2 レフチェンコ証言問題 昭和57年12月9日 米国下院情報特別委員会公表

 日本に於けるKGBの実態について、レジデントと呼ばれる在日KGB機関長の下に、
   ・ラインX (科学技術情報収集担当)
   ・ラインN (イリーガル支援担当)
   ・ラインKR (防諜担当)
   ・ラインPR (政治情報担当)
と呼ばれる各ラインが組織されており、ラインPRは、
   ・アクティブ・メジャーズ班
   ・米国を担当する主敵班
   ・中国班
から構成されていたことなどを明らかにし、1970年代のアクティブ・メジャーズの中で最も成功
したケースの一つに「周恩来の遺書」の捏造を挙げている。「周恩来の遺書」は、日中離間を最大
目的としてKGBによって捏造され、在日KGB機関員が、サンケイ新聞社の記者を通じてサンケイ
新聞に掲載(昭和51年1月23日付朝刊)させることに成功し、その後、タス通信がこれを取り上げ
て大々的に世界中に伝えた背景を証言した。

※こうした工作はサンケイ新聞のような保守系メディアの方が有効である。
※対日工作においてはラインXが非常に成果をもたらし、その上リスクがスパイ天国日本では少な
いとして人気があったという。
※ラインNの未遂に終わったRテロ計画などはミトロヒン文書などにも記されている。

130:東亜連盟
08/12/31 01:19:06 at5S9o7g0
  コミンテルンの謀略ならどうだと言いたいの?
 日本は謀略に嵌められた被害者だから日本は悪くありません、日本に戦争責任がありませんと
でも言いたいわけ?それで国際社会に東京裁判のやり直しでも求めるの?バカじゃないの。
 日本も謀略を行うつもりで、中野学校を作ったりしたのだけど、余りにに遅すぎた。ソ連の方
が謀略に関しては先を行っていただけだろ。
 当時の日本政府や軍の幹部は謀略から国を守れなかった国民を守る事ができなかっただけ。
 日本も日露戦争当時は大謀略を行って国を守った。明石元二郎も知らないのか。

131:文責・名無しさん
08/12/31 01:26:26 kWcsO1cE0
日本の謀略はよい謀略。

その昔、日本共産党が言っていた「社会主義国の核はきれいな核」の右翼版。

132:ハリー・デクスター・ホワイト
08/12/31 04:42:14 BYUje7eK0
知られざるインテリジェンスの世界 世界を動かす智恵の戦い
URLリンク(www.php.co.jp)

第2章 情報活動の基本 /雪作戦と日米開戦

 ルーズベルト政権の財務長官ヘンリー・モーゲンソーの下で次官を務めたハリー・デクスター・ホワ
イトは、ソビエトの情報機関に操られたスパイであったとされている。モーゲンソーはルーズベルト大
統領が最も信頼を寄せている無二の親友であった。週に少なくとも1回は大統領と昼食を共にしたとも
言われている。
 ホワイトはマッカーシー旋風が吹き荒れていた1948年に、議会の調査委員会によって告発され証
言台に立たされた。戦後にソ連のスパイ容疑を掛けられた者の中では、最も高位の連邦職員であった。
彼は国際通貨基金(IMF)や世界銀行の創設に深く関わった人物である。暗号解読によって判明した
彼に対するソビエト側のコード名は、Richard、Lawyer、Reedの3つであった。
 ソビエト情報機関は「雪作戦」(Operation Snow)を発動して、ホワイトに対する働きかけを行った。雪
は白い(White)というところからの命名である。まずはアメリカが中国支持を強化する方向に持って行く
ことである。アメリカが中国支持を鮮明にすれば、それは必然的に日米関係の悪化に連なって、日本が
ソビエトを攻撃する可能性が薄らぐからである。当時ソ連が恐れていたのはドイツと日本という敵を腹背
に受けて、二正面作戦を強いられることであった。
 須藤眞志『ハル・ノートを書いた男』(p.162)はソ連の情報員の言葉を次のように引用している。
「われわれの目的は、極東のソ連地域を日本の攻撃と侵攻の可能性から守り、安全にすることでした」
ジェロルド・シェクターとレオナ・シェクター共著の『聖なる秘密』(Sacred Secrets, p.23)によれば、ソ連か
らの使者はホワイトに、アメリカが日本に要求すべき事項を伝えていた。それは、
 ・中国への侵略の停止
 ・大陸からの軍の撤退
 ・満州からの全面撤収
の3項目であった。

133:東亜連盟
08/12/31 05:54:43 at5S9o7g0
>>132
 だからコミンテルンの謀略ならどうだと言いたいの?
 自分の意見をちゃんと言ったらどうなんだ。


134:ハリー・デクスター・ホワイト
08/12/31 06:26:20 BYUje7eK0
知られざるインテリジェンスの世界 世界を動かす智恵の戦い
URLリンク(www.php.co.jp)

第2章 情報活動の基本 /雪作戦と日米開戦

 ホワイトに対するソビエトの働きかけは巧妙で、米ソは相互理解と共通の利害関係に結ばれている
とする雰囲気を盛り上げていった。平和の維持と米ソ関係の改善を目指しているかのように思い込ま
せて、その実ソ連の意図を徐々に浸透させていったのであった。そしてホワイトを通してモーゲンソー
を動かし、モーゲンソーの「考え」はルーズベルトに達していたのである。
 ホワイトは理想主義に基づいた戦争の回避を主張しているかに見えるが、実はソビエトの恐れる日本
軍のシベリア進行阻止に加担していたのである。彼がソビエトの意向通りに動いた結果、アメリカは日本
に対して中国からの全面撤兵を要求し、石油の全面禁輸を実施した。これがパールハーバー攻撃を誘
発したとされている。またホワイトは日本の進出を抑える為に、中国に対して多額の借款を与えることも
考えていた。
 当時の状況として、駐日アメリカ大使のジョセフ・グルーは日本に対する強攻策が戦争を誘発するこ
とになると恐れていたが、国務省の極東部部長のスタンレー・ホーンベックは、日本に支援を与えるのは
間違いで、軍事力で対抗すべきだという意見であった。日米交渉のアメリカ側の当事者はコーデル・ハル
国務長官で、彼が1941年11月26日に日本側が提示した文書に、いわゆるハル・ノートがある。日本側
はこれを最後通牒、つまり事実上の宣戦布告と受け取った結果、この文書が太平洋戦争開戦の切っ掛け
となったことは知られている。このハル・ノートを起草したのはホワイトであるが、本当の発案者はスターリ
ンだという人もいるくらいである。
 後の東京裁判で梅津美治郎被告の弁護人となったベン・ブルース・ブレイクニーは、「もしハル・ノート
のようなものが突きつけられたなら、ルクセンブルクのような小国も武器を取り、アメリカと戦っただろう」
と発言している。

135:東亜連盟
08/12/31 07:11:42 at5S9o7g0
 日本も謀略を行おうとして、陸軍中野学校を作って工作員を養成したけど、時既に遅く、
コミンテルンに負けた。時の政府と軍部は、権力闘争と派閥抗争に明け暮れて国民を守れ
なかった。
 謀略や対外工作は悪い事でも、卑怯な事でも無い。日本も行おうとしていたし、
事実日本は日露戦争時に謀略を行い祖国を守っている。レーニンに資金提供と武器を渡し
たのは日本だ。日本はコミンテルンの生みの親と言える。
 そのコミンテルンの謀略に今度は日本が嵌められた、そして日本は戦争に巻き込まれた。
 コミンテルンの罠にはまった日本が巻き起こした戦争については日本に責任がある。謀略
に嵌り大勢の人を犠牲にする国家では国際的な信用など得られるわけが無い。

136:ハリー・デクスター・ホワイト
08/12/31 07:30:20 BYUje7eK0
知られざるインテリジェンスの世界 世界を動かす智恵の戦い
URLリンク(www.php.co.jp)

第2章 情報活動の基本 /雪作戦と日米開戦

 (ヤルタ会談に於いて)ホワイトが作成した財務省提案は、ソ連に巨額の借款を30年間低利子で供与
する。またドイツに要求する予定の200億ドルに上る賠償金の半額をソ連に与えるというものであった。
更にソ連の意に沿って、ドイツの化学、電気、冶金の諸産業を完全に廃止させるということも盛り込んで
いた。
 しかし国務省の反対で、借款とドイツの非産業化は実現しなかった。但しドイツの賠償金に対する提案
は、チャーチルの反対にも関わらず、ルーズベルトが賛意を表しているのである。この様なスパイを味方
に持てば大変心強いが、敵にすれば気づかぬ内に危機的状況に追い込まれる可能性が有る。
 なお、このヤルタ会談について、アメリカのブッシュ大統領は「歴史的誤り」として非難した。2005年
5月7日のことである。

(中略)
 アメリカがソビエトの無線通信に対して行った暗号解読作戦であるヴェノナ(Venona)が明らかにした
ところによると、ソ連の人民内務委員会(NKVD)は、ルーズベルト政権の主要部全てに浸透することに
成功していたのであった。

137:文責・名無しさん
08/12/31 11:25:39 kWcsO1cE0
で、コミンテルンの謀略が奏功した結果、アジア各地の植民地が解放された。

つまり、コミンテルンはよいことをした、と右翼さんはおっしゃっているわけだね。

そこのところ誤魔化さないではっきり教えて。

138:東亜連盟
08/12/31 11:29:06 ox+5lvtT0
 タモガミ支持者はコミンテルン肯定論なんだな。
 アジアの植民地からの解放者だからね。

139:文責・名無しさん
08/12/31 15:38:57 WaR5M2zv0
>The German propaganda minister Joseph Goebbels already said it
>in an unguarded moment:
>
>‘The truth is the mortal enemy of the lie, and thus by extension, the
>truth is the greatest enemy of the state.’

140:文責・名無しさん
08/12/31 16:07:25 p1j0sJtDO
>>138
コミンテルンはアジアを共産化しようとして戦争をしかけたが、
日本は欧米からアジアの植民地解放したわけ。
そんなこと説明されなければ判らないバカなのか?

141:文責・名無しさん
08/12/31 16:10:56 p1j0sJtDO
>>140
いい間違えた

日本はアジアから欧米の植民地支配解放したわけ。


142:文責・名無しさん
08/12/31 17:04:10 9KJq3VsO0
>>140
でも文意は通じるな。


抑近衛内閣での残念ながら赤く染まった連中が側近として跋扈していた
のは事実だし、其影響力を無視してコミンテルン(第三インターナショナ
ル)に翻弄された日本てバカという論理が通じるのならば、アメリカとて
同じ事だ。
いやっ、アメリカ政府の方が病は大きい。

大東亜戦争は自存自衛の戦争という意味で始めたが、東亜米英蘭の植民
地を討つという事は該植民地の解放の意味を有するのだし、結果として
東亜解放に到ったのは副次的な戦争の大義として政府も施策しているの
だから、
「コミンテルンの影響で日本は戦争に突っ込まざるを得なかったが、進
攻は植民地解放に多いに利を成した」
で認識をすればいい。

143:ルーズベルトとチャーチル
08/12/31 20:09:50 BYUje7eK0
機密指定解除 - 歴史を変えた極秘文書
URLリンク(ec.nikkeibp.co.jp)

第1章 戦争の裏側で何が? 9,盗聴されたルーズベルトとチャーチルの交信
 1940年8月 第二次世界大戦 - 基地秘密協定の為の駆逐艦

 1940年5月15日の午後、英国海軍の密使が、一通の文書を新首相の執務室から米国大使館
へ運んだ。大使館の暗号室でその文書は暗号化され、ホワイトハウスの暗号室へ送信され、解読
された上でフランクリン・D・ルーズベルト大統領に手渡された。
 ルーズベルトとチャーチルは、この数ヶ月間密かに連絡を取り合っていた。海軍大臣としてのチャ
ーチルは、ルーズベルトに、大西洋上で巡視している米国海軍艦船が発見したUボート関連の情報
を回してくれるように依頼した。ルーズベルトは直ちにこれに応じた。英国海軍情報部の責任者は
チャーチルに、「米国は既に中立の立場とは言えない」と告げた。ルーズベルトとチャーチルは、共
に米国の中立法違反を見逃していることが公になると米英の関係を損ない、間もなく三期目に立候
補しようとするルーズベルトを政治的に傷つけてしまうことを承知していた。

144:ルーズベルトとチャーチル
08/12/31 20:17:39 BYUje7eK0
機密指定解除 - 歴史を変えた極秘文書
URLリンク(ec.nikkeibp.co.jp)

第1章 戦争の裏側で何が? 9,盗聴されたルーズベルトとチャーチルの交信
 1940年8月 第二次世界大戦 - 基地秘密協定の為の駆逐艦

 両者の秘密交信がドイツに傍受されていることに、二人は気付いていなかった。米国大使館の暗
号室で勤務していたのはタイラー・G・ケントで、彼はルーズベルトとチャーチルとが共に謀って「米国
を密かに参戦させる画策をしている」と信じていた。公然たる反ユダヤ主義者のケントは、ルーズベル
トは”ユダヤの手先”だと思っていた。ロシア生まれのケントの愛人で親ナチ派、アンナ・ウォルコフも
またそう考えた。彼女は帝政ロシア最後の皇后に使えた侍女だった。ケントは文書を写真に撮り、アン
ナに渡した。アンナはその写真をロンドンのイタリア大使館の連絡員に渡した。イタリア大使はその情
報をローマへ転送する。イタリア駐在のドイツ大使は、その情報をベルリンの外務省へ送った。
 ロンドンのブレッチリー公園にある英国の暗号解読部隊の中枢部では、ドイツ外務省の通信を日常
的に傍受し解読していた。5月のある日、ローマからベルリンへ送られる通信の中で、チャーチルへ
送信されたルーズベルトの秘密電文を見て度肝を抜かれた。それには「40隻ないし50隻の老朽駆逐
艦を引き渡すのは可能だが、議会の特別承認を必要とする。現状では、それは容易なことではない」
とあった。

145:文責・名無しさん
08/12/31 21:25:13 Lbdsko0qO
オランダ共産党も
インドネシアを自国の
領土として支配するつもりで、独立は否定



146:文責・名無しさん
08/12/31 21:47:13 EbcgzJyO0
もういい加減、米軍配給の憲法なんて捨ててしまえ。
自主憲法をつくり、軍備を整え、拉致被害者を奪還し、ヘイジョウを占領しろ。
金豚を逮捕し、東京に移送し皇居前広場にて処刑しろ。
空母をどんどん建造し、、核武装し、ミサイルの照準をモスクワと北京に合わせろ。
そしてとっとと北方領土を奪還しろ。シベリア抑留を忘れるな。
糞なぼんぼん平和ボケ政治家の皆さん方、もっと緊張感をもってよ。
いまはまさに幕末のようなもの。平成維新を断行すべき。

147:文責・名無しさん
08/12/31 21:56:55 qFr0qAuO0
>>146
そういうこと毎日毎日グルグルグルグル考えてんの?


148:スターリンと朝鮮戦争
08/12/31 22:23:05 BYUje7eK0
機密指定解除 - 歴史を変えた極秘文書
URLリンク(ec.nikkeibp.co.jp)

第1章 戦争の裏側で何が? 12,スターリンが是認した朝鮮戦争
 1950年4月 朝鮮戦争 - 韓国侵攻でのソ連邦の役割

 1945年8月29日、北朝鮮ハムフンの近くでソ連の戦闘機が、米軍の「超空の要塞」B-29爆撃機
に発砲、強制着陸させた。このB-29は、日本軍が最近放棄したばかりの捕虜収容所に取り残された
連合軍後呂に補給物資を投下する作戦行動中だった。第二次世界大戦はその15日前に終結していた
が、B-29の乗組員たちは新たな戦争が始まったことを知らなかった。それは「冷戦」と呼ばれること
になる。
(中略) 米国とソ連両政府は、軍事境界線(38度線)を設け、ソ連が支援する北朝鮮と米国が支援する韓国
に分離した。
(中略) その頃、米国の情報機関は、金日成に対して韓国を襲撃するように、ソ連がどの程度強く指示してい
るのか理解していなかった。また、中国が金日成の計画に関わっていることにほとんど気付いていなか
った。ソ連と中国の結びつきは、ソ連が崩壊し冷戦が終結、ロシアの記録が歴史家の目に触れるまで、
余り知られていなかった。だがいまや歴史家たちは、ソ連の指導者ヨシフ・スターリンと中国の指導者
毛沢東が、朝鮮戦争へ繋がる数々の事件の黒幕だったという文書記録の証拠を持っている。
 例えば或る文書は、金日成が赤軍大将のテレニティ・シトゥコフからいかに戦争へ煽られたかを明らか
にしている。このシトゥコフは、かつて北朝鮮でソ連軍を指揮し、1948年に駐北朝鮮ソ連大使として赴任
した人物だった。同時にこの文書では、金日成が1950年4月にモスクワでスターリンと密会したことなど
も明らかにしている。

149:文責・名無しさん
08/12/31 22:25:26 RNvHz8sp0
>この記事には『独自研究』に基づいた記述が含まれているおそれがあります。
>これを解消するために独自研究は載せないを確認した上で、ある情報の根拠だ
>けではなく解釈、評価、分析、総合の根拠となる出典を示してください(テン
>プレート)。


150:文責・名無しさん
08/12/31 22:40:30 FETcxhky0
中国共産党の幹部は実は日本人がうらやましい。
身動きとれないんだよ、教条主義やれば。
宗教団体だったら異端はずしは激烈だよな。日本だったら言葉狩り程度か。
中国だったら転覆罪で死刑か収容所だな。
浜田とか増田は防衛省を中国化したいんだ。

151:アルジャー・ヒス
08/12/31 23:16:40 BYUje7eK0
機密指定解除 - 歴史を変えた極秘文書
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第2章 二重スパイ 裏切り者 反逆者たち 20,カボチャ文書(パンプキン・ペーパーズ)
 1938年1月 冷戦 - チェンバーズ・ヒス事件

 チェンバーズの標的はワシントンで華麗なキャリアを持つ男だった。その男、アルジャー・ヒスは、
1928年、ハーバード大学法学部卒業後、最高裁判所判事オリバー・ウェンデル・ホームズの秘書
を務めた。1930年代前半、ルーズベルト大統領のニューディール政策に参画し、当初は農務省、
次に国務省で働いた。1941年、40歳になった彼は極東問題調査部門で重責を担った。第二次世
界大戦末期には、国際連合を立ち上げる担当者でもあった。またヒスは、戦時にルーズベルト大統
領や英国のウィンストン・チャーチル首相、ソ連の独裁者ヨシフ・スターリンが会したヤルタ会談で、
ルーズベルト大統領の補佐役を務めた。1947年ヒスは、国務省を平穏に辞し、カーネギー国際平
和財団の総裁になった。
(中略)
 チェンバーズ・ヒス事件が再燃したのは、1996年、国家安全保障局(NSA)が、超機密作戦、暗
号名ヴェノナの結果を発表した折だった。1940年代のソ連の秘密情報を解読したヴェノナ文書は、
ヒスをスパイ活動と結びつけた。憶測は、すぐにヒスが戦時中接触した人物へ飛んだ。それは、英国
外務省の外交官ドナルド・マクリーンで、ヒスと共に国際連合の枠組みづくりなどに取り込んだ人物だ
った。マクリーンは、ソ連邦へ質の高い情報を提供した「ケンブリッジ・スパイ」一味の一人だった。

※ドナルド・マクリーンが属した”ケンブリッジ・スパイ・リング”、マグニフィセント・ファイブは余りにも
有名である。その中心人物、キム・フィルビーをモデルとした小説、映画は枚挙に暇が無い。

152:文責・名無しさん
09/01/01 01:04:20 /wW5VyZo0
>>148
金日成が開戦前にスターリンの承認を求めたこと、スターリンは逡巡した末に、金の
強い態度に押されて最後には同意したことなどは周知の事実と思うが。

>>140
コミンテルンについて語っているのに、共産化と植民地解放を全く別のこととして理解している点で
零点。

153:文責・名無しさん
09/01/01 11:43:07 /wW5VyZo0
>>146
日本を破滅させたがっているようだが、どこの国の意を受けているの?

154:VENONA(ヴェノナ)
09/01/01 14:10:30 RfBpJB480
機密指定解除 - 歴史を変えた極秘文書
URLリンク(ec.nikkeibp.co.jp)

第7章 国家という秘密 48,ソ連スパイ活動の黄金時代 1943年8月 冷戦 - ヴェノナ作戦

 世界に数あるスパイ作戦の記録でも、最も長い期間に渡り、最も複雑なのが、暗号名VEONA
(ヴェノナ)という作戦だ。
(中略)
 1943年に開始された国家安全保障局(NSA)の前身、陸軍の通信安全保障局(SSA)による
秘密計画に、FBIを参加させることになった。SSAの暗号解読チームは、ソ連の電文の解読に取り
組んでいた。それは、1940年代、米国に置かれたソ連の外交施設からモスクワへ発信された無線
傍受の内容である。そのプロジェクトは、最終的にヴェノナという暗号名がつけられた。1948年、
FBIのロバート・ラムフィア特別捜査官が、この計画に参加した。彼はFBIの連絡係であり、電文情報
の管理者でもあったが、得られた知識はフーバー長官だけに伝えられ、ワシントンの政策立案者に対
しては知らされることはなかった。
 1940年代の新聞の見出しに登場した多くの名前、例えばエリザベス・ベントリー、ウィテカー・チェン
バーズ、ジュディス・コプラン、クラウス・フックス、アルジャー・ヒス、ドナルド・マクリーン、そして原子
爆弾スパイ一味の、ハリー・ゴールド、ディヴィッド・グリーングラス、ジュリアス・ローゼンバーグと
その妻エセルなどは、そうした電文の中に潜んでいる。ラムフィアやフーバーとその他少数の捜査官
たちは、電文の中にこうした人たちの名前と合致する暗号名、例えば、ハリー・ゴールドはアルノ、ジュ
リアス・ローゼンバーグはアンテナなどを、少しずつ見破っていった。しかし、そうした電文は告発の
為に利用出来なかった。ヴェノナの口の堅い管理人やFBIは、米国がソ連の主要な暗号方式を解読
したことを明かしたくなかったからだ。

155:文責・名無しさん
09/01/01 14:27:44 Lshn5pmuO
>>152
> コミンテルンについて語っているのに、共産化と植民地解放を全く別のこととして理解している点で
> 零点。


論破されて詭弁使う卑怯もの典型だな。てめえは。
別のことじゃなくコミンテルンと日本の目的の違いを説明してやったのに、日本語読めないバカか?


156:文責・名無しさん
09/01/01 14:32:00 Lshn5pmuO
>>152
共産化と植民地解放は意味が違うしね。
共産化はアジアにとっては新たな侵略だから。

157:VENONA(ヴェノナ)
09/01/01 14:59:32 RfBpJB480
機密指定解除 - 歴史を変えた極秘文書
URLリンク(ec.nikkeibp.co.jp)

第7章 国家という秘密 48,ソ連スパイ活動の黄金時代 1943年8月 冷戦 - ヴェノナ作戦

 ヴェノナの解読で発覚したソ連のスパイの浸透は、政府の奥深くに広がっていた。モスクワからの一通
の電文は、財務省の工作員が既に多過ぎる為、作戦要員に、これ以上工作員を配置しないよう依頼した
ものだった。ソ連の工作員は、ホワイトハウスにも、上院委員会職員にも、米国陸軍やOSS、国務省、
司法省、それに軍需生産委員会にもいた。
 ヴェノナの秘密、それを隠す覆いには穴が開いていた。ヴェノナの存在は、電文を処理していたロシア
語言語学者、ウィリアム・ワイズバンドによってソ連に知らされた。ヴェノナを極力隠しておきたい為、
彼は遂にスパイで告発されることはなかった。

 長年の間ヴェノナは、米国の防諜活動の最も重要な拠点だった。ヴェノナは、ソ連情報機関による密か
な米国人勧誘が成功してきた事実を明らかにした。スパイとなった米国人は、秘密の情報源として、
ホワイトハウス、国防省などの政府機関に潜入、それのみならず、マスコミやハリウッドなど様々な領域に
侵入した。この時期を米国に於けるソ連スパイ活動の黄金時代、と呼ぶ人もいる。ソ連の手先となった
人物は、350人近くに及ぶとされたが、その半数は、未だに姓名が判明していない。

※田母神論文の”フランクリン・ルーズベルト政権の中には3 百人のコミンテルンのスパイがいた”という
記述は公開されたヴェノナ・ファイルに基づいていることが分かる。

158:文責・名無しさん
09/01/01 23:54:25 /wW5VyZo0
>>155,156
ロシア革命を主導したボルシェヴィキやその指導のもとに結成されたコミンテルンが植民地解放を
含めきわめて国際主義的なスローガンを当初から唱えていたことは周知の事実だが、
それすら知らないまま書き込みしているということ?

159:文責・名無しさん
09/01/02 03:34:59 MMJrZWpl0
「つくる会」講師が恒常化 統幕学校で国家観など講義
URLリンク(www.chugoku-np.co.jp)

田母神俊雄たもがみ・としお・前航空幕僚長が統合幕僚学校長時代に新設した講座に、
自身の歴史観に近い「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバー二人を講師に招いていた問題で、
防衛省が講師の名前や講義内容を説明する資料を公表した。

防衛省は国会審議で名前公表を求められたことから本人に是非を確認のうえ公表
に踏み切った。〇五年度に「東京裁判」について講義した高崎経済大助教授だけ同意
せず、名前は公表されなかった。


160:田母神前空幕長出演
09/01/02 14:34:31 sjkisVTS0
新春特別企画 「日本の現在と未来を語る」-Part1 ★1月2日公開★
URLリンク(www.so-tv.jp)

戦後レジームの大いなる矛盾を見事に白日の下にさらし、真に日本を思う人々を勇気づけられた
前航空幕僚長の田母神俊雄氏をお迎えし、この国の現状と未来についてじっくりと語り合った新春
特別企画をお送りします!

出演:
 田母神俊雄(前航空幕僚長)
 中條高徳(日本戦略研究フォーラム会長)
 渡部昇一(上智大学名誉教授)
聞き手:
 水島総(日本文化チャンネル桜 代表)
 丹羽文生(東北福祉大学講師・拓殖大学海外事情研究所客員研究員)

161:コミンテルンの対外情報工作
09/01/02 15:29:34 sjkisVTS0
KGBの内幕―レーニンからゴルバチョフまでの対外工作の歴史〈上〉〈下〉
クリストファー・アンドルー、オレク・ゴルジエフスキー 著
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)

第三章 ジェルジエンスキー時代の”積極工作”  コミンテルンの対外情報工作

 ソヴィエト・ロシアは組織的な対外情報収集活動を開始する前においてすら、国境を越えた秘密
工作という野心的な計画に乗りだしていた。内戦中のチェーカーは国内に於ける真偽取り混ぜた
陰謀からボリシェヴィキ政権を防衛していたが、ソヴィエトの国外工作員の任務は、先ず何よりも
革命の拡大に向けられた。だが、秘密工作の殆どを組織したのはチェーカーではなく、コミンテルン、
即ちソヴィエト支配の共産主義インターナショナルだった。コミンテルン執行委員会(ECCI)は自ら
を”世界革命の参謀本部”と考えたのだ。
(中略)
 ジノヴィエフはコミンテルン大会で、コミンテルン執行委員会(ECCI)は、共産主義インターナショナ
ルに加盟し、または加盟を希望している諸政党の活動に”干渉する”権利ばかりでなく、干渉する義
務を有すると述べた。そのような”干渉”の主要な武器は、コミンテルン執行委員会(ECCI)から
加盟政党や共産主義グループに派遣される”モスクワの目”とあだ名される代表だった。

※毛沢東も中国共産党内の活動を”モスクワの目”によって監視され、やがてコミンテルンの援助
によって指導的地位に就くこととなる。毛沢東がスターリンに頭が上がらなかった所以である。

162:ゾルゲの対日工作
09/01/02 17:00:38 sjkisVTS0
KGBの内幕―レーニンからゴルバチョフまでの対外工作の歴史〈上〉〈下〉
クリストファー・アンドルー、オレク・ゴルジエフスキー 著
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)
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第六章 シギント、工作員の浸透戦術  [ゾルゲの対日工作]

 ベルジン配下の最も成功した浸透工作員は、リヒアルト・ゾルゲだった。1964年、つまりその死
から20年後にはゾルゲはソヴィエトの英雄となり、一連の公認の聖伝刊行と-外国人の工作員に
はきわめて珍しいことだが-特別の郵便切手の発行によって名誉を称えられた。
(中略)
 第一次大戦後、ゾルゲはハンブルク大学で政治学の博士号を取り、共産党の闘士として働いた。
1924年遅く彼はモスクワへ移り、1925年初頭にコミンテルンのOMSで働き始め、ソヴィエトの市民
権を取った。1927年から1929年にかけて、OMSは彼をドイツでの一連の情報活動に派遣した。
彼が後に語ったところによれば、イギリスとスカンジナヴィアへも行ったという。1929年11月、彼は
ベルジン将軍に目を掛けられて個人的に第四部に徴募された。もっとも、ピヤトニツキーやOMSとも
引き続き関係を保った。
 ゾルゲの最初の任務は、ドイツのジャーナリストを装って上海でスパイ・ネットワークを運営すること
だった。そこで彼は、後に彼の最も重要な工作員となる一人の日本人のジャーナリストを徴募した。
それは、日本政府と類ない繋がりを持つ裕福な出身の尾崎秀実という若い理想家肌のマルクス主義者
だった。

163:ゾルゲの対日工作
09/01/02 17:40:36 sjkisVTS0
KGBの内幕―レーニンからゴルバチョフまでの対外工作の歴史〈上〉〈下〉
クリストファー・アンドルー、オレク・ゴルジエフスキー 著
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)

第六章 シギント、工作員の浸透戦術  [ゾルゲの対日工作]

 1933年9月に東京に着いた時、ゾルゲが受けた命令は、「日本がソヴィエト連邦攻撃を計画して
いるかどうかに関する問題を十分慎重に研究せよ」というものだった。彼は8年後に逮捕された後で
こう書いている。
 ”これは、多年にわたって私と私のグループに命ぜられた最も重大な任務だった。それが日本に
おける私の使命の唯一の目的だと言っても大きな間違いではないだろう・・・”
(中略)
 リヒアルト・ゾルゲに関するソヴィエトの公認の賛辞の全てには、少なくともこれまで西側には知ら
れていない一つの故意の歪曲が含まれている。それは、ゾルゲの情報報告はたいていは、ソヴィエト
のシギント活動、つまりグラスノスチ時代にあっても依然として公式には言及する事が出来ない形態
の情報活動の成功を隠す為に用いられているということである。シギントは、ゾルゲ自身よりも遙かに
重要な日本に関する情報源だったと言って良い。

164:文責・名無しさん
09/01/02 20:33:25 13i7xzZA0
 他国の謀略や工作活動から国民を守る義務は、軍隊や政治家にはある。
 田母神の言い分は軍の責任をコミンテルンに転嫁している。
 日露戦争時に帝国陸軍の明石大将がロシアに謀略活動を行い、共産主義者
に支援した事を忘れている。この謀略が日本を救った。

165:文責・名無しさん
09/01/02 22:02:16 +IWY6pbYO
今の日本はロシアそっくりだ

元ソ連外交官が語る「ロシア-ユダヤ闘争史」の全貌
URLリンク(hexagon.inri.client.jp)

166:ミュンツェンベルク・トラスト
09/01/02 22:49:56 sjkisVTS0
KGBの内幕―レーニンからゴルバチョフまでの対外工作の歴史〈上〉〈下〉
クリストファー・アンドルー、オレク・ゴルジエフスキー 著
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)

第三章 ジェルジンスキー時代の”積極工作” [ミュンツェンベルク・トラスト]

 トリッセルが1921年にINO(秘密警察チェーカーの外国部門の後継組織)を引き継いだ頃、コミン
テルンはその海外工作員の秘密ネットワークを運営する為、秘密の国際連絡部(OMS)を組織した。
OMSは外国の共産党員とその同調者(共産党シンパ、ピンコ)を秘密情報活動に引き込むことで、
INOにとって貴重な働きをした。こういう人々は、ソヴィエトの秘密情報機関が直に接近するよりも、
コミンテルンが支援を訴える方が効き目があり、1930年代のOGPUとNKVDの最も優秀な対外工作
員の多くは、最初は自分たちがコミンテルンの為に働いていると信じていた。
 OMSは、後にソヴィエトの重要な”積極工作”(影響力行使型工作)の手段となる”フロント組織”の
先駆けとなった。OMSの資金で設置されたフロント組織の中で最大の手腕を発揮したのは、ドイツ
共産党の代議員ヴィリー・ミュンツェンベルクで、その”生涯のパートナー”のバベッテ・グロスが愛情
込めて”同調者たちの守護聖人”と評する人物だった。1921年のロシアの飢饉の時代に、ミュンツェ
ンベルクはベルリンに本部を置いて”国際労働者救済会(IWA)”を設置し、瞬く間にコミンテルンの
最も効果的な宣伝担当としての地位を確立した。

167:ミュンツェンベルク・トラスト
09/01/02 23:49:52 sjkisVTS0
KGBの内幕―レーニンからゴルバチョフまでの対外工作の歴史〈上〉〈下〉
クリストファー・アンドルー、オレク・ゴルジエフスキー 著
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)

第三章 ジェルジンスキー時代の”積極工作” [ミュンツェンベルク・トラスト]

 IWAは党内では”ミュンツェンベルク・トラスト”と呼ばれるようになった。
(中略)
 IWAは、ミュンツェンベルクが密かに”イノセンツ・クラブ”(ここではイノセンツは”愚か者”の意)
と呼んでいた一連の組織のはしりであり、それは、コミンテルンの密かな指導の下に時流に乗っ
た様々な目的を支援することによって”インテリを組織する”ために作られていた。彼は、プロレタ
リアートとの精神的連帯という響きの良い言葉で惹き付けた”イノセントな”ブルジョア・インテリ層
に対して友情ある軽侮の念を抱いていた。ミュンツェンベルクの主たる関心は宣伝活動にあった
が、彼は”イノセンツ・クラブ”をOMS(コミンテルン国際連絡部)の情報活動ネットワークの隠れ蓑
として利用した。そのネットワークの中には、彼自身が誘い込んだインテリの内の何人かが含ま
れている。

※無防備地域宣言運動全国ネットワーク(無防備マンで知られる)が極左過激派であるMDS
(民主主義的社会主義運動)のフロント組織=イノセンツ・クラブであることも了解できよう。
現在の日本でもミュンツェンベルク・トラストと類似の活動は続いているのである。

168:文責・名無しさん
09/01/03 00:08:31 1lpWU2MB0
>この記事には『独自研究』に基づいた記述が含まれているおそれがあります。
>これを解消するために独自研究は載せないを確認した上で、ある情報の根拠だ
>けではなく解釈、評価、分析、総合の根拠となる出典を示してください(テン
>プレート)。


169:文責・名無しさん
09/01/03 22:59:27 OZ0Uf0r80
なんでこんなやつ支持するんだ。
産経ニュースでも批判されているぞ。
URLリンク(sankei.jp.msn.com)

170:大東亜戦争とコミンテルン
09/01/04 01:06:24 pgbkqE8S0
戦後マスコミ回遊記 柴田秀利 著
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)

■敗戦謀略の真相 [なぜ第二次世界大戦が起きたか]
(前略)
 ある日、元内務相警保局出身の代議士、三田村武夫氏を伴って来た。重要な話だから、充分
時間をとって欲しいということで、馬場恒吾読売新聞社長と二人で何事ならんと聞き耳を立てた。
 三田村氏は、一応言わんとするところをタイプに打ってきたと言って、分厚い書類を出し、説明
に入った。題名はたしか「コミンテルンの敗戦謀略」だったと記憶する。それをめくりながら、鋭い
論鋒で迫る彼の弁舌に、私達二人は異常な驚きを覚え、黙って聞き入った。
 イデオロギー闘争と並んで、当時の私が自らに課していた一番大きな問題は、我々の先輩が
負けると決まった、あんな馬鹿げた大戦争をなぜやったのか。その真因を追究し、後世の資とす
ることだった。その為に、これからあらゆる努力を払おうとしていた矢先だった。三田村代議士の
分析は、まさにその核心に迫った、驚くべき事実の発掘だった。私は身震いするほど興奮し、そ
の話に聞き入った。

大東亜戦争とスターリンの謀略―戦争と共産主義 三田村武夫 著
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)

171:大東亜戦争とコミンテルン
09/01/04 01:56:53 pgbkqE8S0
戦後マスコミ回遊記 柴田秀利 著
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)

■敗戦謀略の真相 [尾崎・ゾルゲ事件]

 三田村武夫代議士と松前重義氏(東海大学総長、世界柔道連盟会長)の持ち込んだテーマは、
実に驚嘆に値するものだった。「馬場さん、ソ連のスパイだった尾崎・ゾルゲ事件をご存じでしょう。
私どもは警保局でこの事件を担当して以来、一貫してその内容の分析、調査をしてきましたが、
ようやくことの真相を突き止めることができました。実を言うと、彼らは単なるスパイではなかったん
です。コミンテルンの世界革命計画に従って、負けると決まっている戦争に日本を駆り立て、敗戦に
導くことによって、一挙に暴力革命を達成しようという、大変な戦略、つまりこれを名付けて『敗戦謀略』
といいますが、その大罠に日本を嵌め込んだ、とんでもない、壮大な政治謀略家だったんです。
愚かにも日本は、ウマウマとその手に乗っかって、今日の惨状を招くに至ったという事に目を開かせな
きゃいかんと思って、お伺いしたわけです。」

大東亜戦争とスターリンの謀略―戦争と共産主義 三田村武夫 著
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)

※三田村氏の証言は近衛文麿公にも衝撃を与え、近衛上奏文の元ともなった。
※正力松太郎を描いた佐野眞一著『巨怪伝』にもこのエピソードが出てくる。
※ルーズベルト大統領と近衛文麿公、即ち日米中枢にまでコミンテルンは及んでいたのである。

172:大東亜戦争とコミンテルン
09/01/04 02:57:51 pgbkqE8S0
戦後マスコミ回遊記 柴田秀利 著
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)

■敗戦謀略の真相 [尾崎・ゾルゲ事件]

(27年テーゼ、32年テーゼの解説省略)
 究極の世界革命達成のためには、先ず資本主義国同士を戦わせ、その負けた国から一つずつ
革命していき、大勢の決まったところで一挙に世界暴力革命に突入する-という筋書きだったという。
それを彼らは敗戦謀略と名付け、日本をその絶好の生け贄と見てとったのだった。

 幸か不幸か、時の宰相近衛文麿公爵は、学生時代から公卿には珍しい進歩主義者で、学習院から
東京帝大へ進まず、自ら希望して京都大学へ入った。『貧乏物語』で青年を惹き付けていたマルキスト
河上肇教授を慕ってのことだったという。当然、彼の頭の中に巣食ったものは、マルキシズムに他なら
なかった。こうして成長した彼の側近には、本モノ、偽モノを含めて、そのほとんどがいうところの進歩主
義者で埋め尽くされ、モスクワの使者、尾崎秀実が潜入するには、何の障壁も無かった。

173:文責・名無しさん
09/01/04 03:19:13 UCXz78Eg0
検索⇒「国益を考える講演会」
平成21年3月22日(日) 1600名入場無料全席指定 
特講演
菅沼光弘氏 元公安調査庁・調査部第2部長
志方俊之氏 元陸上自衛官陸将・北部方面総監
青山繁晴氏 株式会社独立総合研究所 代表取締役社長・兼・首席研究員 
特ゲスト
田母神俊雄 前航空幕僚長



174:大東亜戦争とコミンテルン
09/01/04 03:47:25 pgbkqE8S0
戦後マスコミ回遊記 柴田秀利 著
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)

■敗戦謀略の真相 [尾崎・ゾルゲ事件]

 ゾルゲの指示に従って近衛内閣の嘱託となり、近衛を取り巻くブレーン・グループが構成していた、
いわゆる「朝飯会」の有力メンバーとなった。その主な顔ぶれを見ただけでもゾッとする。

 風見章、富田健治、西園寺公一、笠信太郎、原貞蔵、松本重治、田中慎太郎、犬養健、牛島友彦・・。

 身近な秘書から大臣、書記官長(今の官房長官)に加うるに、親戚、縁者、ジャーナリストから学者を
加え、揃いも揃ったり、といいたいところだが、これだけ集まれば、国の最高機密だって、何でも取れる。
また、国政を左右しようとすれば何でも出来る。スパイにとって、これ以上の宝庫は無かった。また謀略
政治家にとって、これ以上の醸造工場は無かった。当然あらゆる機密はモスクワ直通となり、近衛の
頭の中は、スターリンのタクト通りに、右曲がり、左曲がりしながら、次第に思う壺に嵌っていくことになっ
てしまった。
 その最初の重要な落とし穴が、重慶との和平工作の挫折であった。両者が漢口を中心に話し合い成立
に近づいた時、双方に異なる情報を売り込んで、ブッ壊し工作に成功したのが、さきに述べた朝飯会の
メンバーの一人だった。

175:文責・名無しさん
09/01/04 08:30:57 QG5F3Dk30
アメリカも歴史教育見直すんだな。
中国にだまされて東亜に手を出してしまったけれど、
日本と戦争、朝鮮戦争、ベトナム戦争と戦死者たくさんだしたよ。
お人好しのアメリカ漫画地で行く歴史だったと。
日本みたいに自虐史観もそろそろ如何か、後世のために。

176:大東亜戦争とコミンテルン
09/01/04 15:25:54 pgbkqE8S0
戦後マスコミ回遊記 柴田秀利 著
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)

■敗戦謀略の真相 [北進から一転仏印へ]

 日本は中国大陸の泥沼に半永久的にはまり込んでいくこととなったが、、同時にこの時、既に日本側
からばかりでなく、モスクワ側からも巧妙な破壊工作の手が延安を通じて伸びていた。それが何と、日
本軍の手で暗殺された張作霖(註:この事件については近年、ソ連GRU、エイティンゴンの関与が示唆
されている)の息子、張学良による蒋介石監禁事件であった。当時は満州族による勢力挽回のための
一策ぐらいにしか受け取られていなかったが、後になって分かったところによると、あに図らんや、この
時、張学良を裏から操っていたのが、後の北京政権の名宰相周恩来だった。したがって、中国側でも
この時を境に、全く相容れないはずの国共合作が出来上がり、抗日戦線の統一となって、大陸の泥沼
は一層底なしの深さとなった。これが延安に落ち延びていた中共軍を引き出し、拡大、強化させ、やがて
大陸制覇、政権確立への道を拓き、逆に蒋介石、張学良ともども台湾へ逃げ込まざるを得なくさせた、
近代中国史の一大転換点となろうなど、当時の誰が想像し得たであろうか。
 ともあれ、近衛文麿公は何の見通しもないまま、心なくも例の「蒋介石、対手にせず」の声明を発表し、
汪兆銘を担いで南京政府樹立の祝砲を打ち上げ、大東亜新秩序建設の新時代を拓こうとした。これも
また、尾崎の描き出したポンチ絵とはつゆ知らずに・・・。それら全てが全くの空砲に終わってしまう運命に
あったとは・・・。

177:文責・名無しさん
09/01/05 11:03:34 6ztbHWT70
田母神論文の邪悪さと被ばく予防剤ひっそり販売の邪悪さ、そして、軍事オンブズマンの必要性
URLリンク(blog.goo.ne.jp)

さて日米戦争は避けることが出来たのだろうか。
日本がアメリカの要求するハル・ノートを受け入れれば一時的にせよ
日米戦争を避けることは出来たかもしれない。
しかし一時的に戦争を避けることが出来たとしても、当時の弱肉強食の
国際情勢を考えれば、アメリカから第2, 第3 の要求が出てきたであろうことは
容易に想像がつく。結果として現在に生きる私たちは白人国家の植民地である
日本で生活していた可能性が大である。

■ ■ ■ 引用終了 ■ ■ ■

この部分の邪悪さは、言うまでもない。田母神は、自分では分かっているはずだ。
ハルノートを受け入れ、日本が本来の領土まで撤退し、貿易によって、中国・韓国と
共存する関係を築こうとしている場合に、米国が日本を攻撃することができたはずがない。
しかも、日本は連合国によって占領されたにもかかわらず現在の姿(独立繁栄)がある。
それなのに、ハルノートを受け入れた場合に、占領されたよりもひどい結果(米国の植民地)に
なっていたなんてことが考えられるだろうか。

何この穴だらけ論理

178:172.mmm156
09/01/05 17:12:21 io/yCVNq0
軍需経済に飼育されたタモガミというチンピラ軍人:国家間の憎悪を扇動する英霊軍需利権商売 :
URLリンク(esashib.hp.infoseek.co.jp)
2006年の今こそ如何に困難で厄介であろうと靖国英霊という侵略強盗殺人の犯罪兵士と
その共犯兵士を裁く新たな東京裁判を戦後世代の手で開始しなければいけない。
個別侵略強盗殺人兵士の放置を時代の所為にする卑劣と怠惰に終止符を打つ時が来た。
URLリンク(members.at.infoseek.co.jp)
家族のために天皇のために国のためになどとほざいて、海を渡り侵略強盗・強姦殺人を
繰り広げた靖国英霊という犯罪兵士が許されるのなら、道徳などどこにも存在しないに等しい。
侵略殺人英霊兵士の罪が放置された「平成」社会にはどんな法律もモラルも機能するはずがない。
親分=A級ゴロツキ戦犯だけが罪を問われ、侵略強盗殺人強姦の実行犯である子分=皇軍兵士が許されるなどという社会がどこにある!
URLリンク(members.at.infoseek.co.jp)
靖国A級戦犯だけを分祀すれば済む問題では断じてない。
URLリンク(www.jcp.or.jp)
小沢一郎と中国・胡錦濤(コ・キントウ)はあたかも侵略殺人強盗の責任がA級戦犯だけにあるような暴言を振り撒いている。侵略殺人の実行犯人である靖国英霊という個別の兵士が免罪されると本当に思っているのか。
靖国英霊という個別の侵略強盗兵士に殺されたアジア各地の被害者を無視して、何の未来だ! 何が歴史だ! この恥知らずめ。
URLリンク(home.kanto-gakuin.ac.jp)
数千万のアジアの人たちの人生を破壊した靖国英霊という侵略強盗殺人の犯罪兵士とその共犯兵士が許される筈がない。
URLリンク(yeoseong.korea-htr.com)
国のために平気で人を殺すような軍人を大量に飼育している韓国、北朝鮮というチンピラ軍事国家も分かっているのか!現在、続発する残虐犯罪は靖国英霊という侵略強盗殺人犯の「戦後社会による放置」が原因である。




179:文責・名無しさん
09/01/05 19:17:45 zHtfC0P70
新春特別講演会 「田母神前空幕長 来阪す!」

公演日 2009年1月24日(土)
開演 14:00 / 開場 13:00
会場 大阪商工会議所 国際会議ホール(大阪府)
講師 田母神俊雄
問い合わせ先 関西防衛を支える会:06-4302-5187
参加費 1500円


180:文責・名無しさん
09/01/05 22:59:37 fouWvnZ40

マスコミ
   コミンテルン
        ルンバ

181:大東亜戦争とコミンテルン
09/01/05 23:25:11 qLyywxwO0
戦後マスコミ回遊記 柴田秀利 著
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)

■敗戦謀略の真相 [北進から一転仏印へ]

 自由主義者であり、平和主義者であったはずの近衛文麿公の足下で、この頃から本格的な臨戦
体制が次々と打ち出され始めた。
 先ず、「近衛新体制」と称して「翼賛政治会」の名の下に、政党は解体統一された。相前後して「大
政翼賛会」の名の下に、下は下町の片隅にまで隣組組織がくまなく網を張り巡らされ、瞬く間に日本
は全体主義的統一国家へと変貌していった。近衛自らの達筆になる「上意下達、下意上達」の迷文
句が、氏神様のお札のように、全国至る処にベタベタと張られだしたのもこの頃だった。それにも関わ
らず、議政壇上で、「何故にかかる全体主義的な非民主的統一国家、独裁体制を作るのか」と政党
代表に詰問され、追い詰められた時、一国の、しかも非常時を背負う総理大臣が、「実は私にも、ど
うしてこうなったのか、全く何も分からぬままに来てしまったのです・・・」といって絶句し、白いハンカチ
で眼を拭って、泣き出してしまったのを、駆け出しの記者の私も目撃している。世の中にこんな不思議
なことがあってたまるものかと、憤激を覚えたことが、昨日のことのように想い出される。彼がいかに
目隠しされた操り人形であったかを如実に物語るシーンだった。

182:文責・名無しさん
09/01/06 11:33:21 tnxrKmwJ0
>この記事には『独自研究』に基づいた記述が含まれているおそれがあります。
>これを解消するために独自研究は載せないを確認した上で、ある情報の根拠だ
>けではなく解釈、評価、分析、総合の根拠となる出典を示してください(テン
>プレート)。


183:文責・名無しさん
09/01/06 11:57:11 fjoWd3kn0
国民の多くはコミンテルンがどうのこうのという話には関心ないよ。

ただ、村山談話なるものに違和感を抱いているし、中・韓・北の横暴には
不快感を抱いている。また、これらの国の肩を持つような発言をする文化人や
マスコミは許せないと思っているはずだ。朝日が赤字に転落したのもそのへんが
影響しているだろう。

田母神の論文や著書が支持されている理由は一言で言えばこういうことだ。

184:文責・名無しさん
09/01/06 16:10:49 yAKk0mRy0
田母神さんがコミンテルンがどうのこうのと書いたので、サヨクはにわか勉強して
どうのこうのと言っているんだろう。


185:文責・名無しさん
09/01/06 18:37:33 tnxrKmwJ0
>>183
>村山談話なるものに違和感を抱いている

というのは、
村山総理大臣談話
URLリンク(www.mofa.go.jp)
のうち、どこの箇所か抜き出してみて。
全然問題な箇所はないと思う。いろいろ考えてみたが、
どうも、「触れていないこと」、すなわち、外国のどこかの国が悪い
ということがどこにもないこと、にひっかかっているのか?
でも、それは「悪いとも言ってないし、よいとも言ってない」というのが
正当。

186:文責・名無しさん
09/01/06 19:23:57 gVNYuy3f0
>>183


産経も赤字だけどねw

187:文責・名無しさん
09/01/06 20:58:13 ymexkzCL0
「韓流」は、韓国が日本を乗っ取るための下地作りだったのですよ。
JRなどの公共機関にも、やたらと朝鮮語表示が多いじゃないですか。
あれも日本を乗っ取ったあとに、朝鮮人が行動しやすいように
表示してあるのです。 マスコミや芸能界のすでに韓国人に乗っ取られて
います。 政治家もかなり韓国人に占領されてきています。
もういいかげんに日本人も気がつかないといけませんね。



188:大東亜戦争とコミンテルン
09/01/06 21:41:41 E2I8ItNF0
戦後マスコミ回遊記 柴田秀利 著
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)

■敗戦謀略の真相 [北進から一転仏印へ]

 三田村武夫(衆院議員)、松前重義(東海大学総長、世界柔道連盟会長)両氏の説明によると、
尾崎秀実(コミンテルン、ゾルゲ・グループ、朝日新聞記者、日本共産党員)の筋書きに近衛文麿
公の親友、後藤隆之助たちが乗って、「昭和研究会」とか「国策研究会」をつくり、そこでこれら新
体制なるものの綿密な全体計画が練り上げられていったという。しかも表面上は、日増しに強くな
ってきた軍閥の力を抑制するには、これ以外にないというのが、ここに集まった進歩主義者たちの
言い分だった。しかしそれら全てが裏を返せば、近衛なき後、軍閥が政権をとれば、そのまま
ヒットラーやスターリンと全く同じ、軍事独裁政権確立のための巧みなお膳立てとして、着々と
進んでいたこととなる。

189:大東亜戦争とコミンテルン
09/01/07 05:30:03 M3Ei0mV/0
戦後マスコミ回遊記 柴田秀利 著
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)

■敗戦謀略の真相 [北進から一転仏印へ]

 ゾルゲ、尾崎秀実が彼らにとって最後の、そして最大の花を咲かせる時が来た。昭和16年である。
ゾルゲはドイツ大使オットーの信任を得ていたので、ヒットラーが独ソ不可侵条約を裏切ってソ連に
侵攻することをいち早く察知し、その正確な期日までモスクワに打電した。しかし、それでもソ連は押し
まくられ、遂にスターリングラードの死の攻防戦となった。それまで日本を猿扱いしかしていなかった
ヒットラーが、この時ばかりは枢軸国日本に対し、背後から今一押ししてくれれば勝てるからと、日本
軍のシベリア出兵を矢のように催促してきた。軍はそれに応えて7月、関東軍特別大演習、つまり
「関特演」の名目で、総力を満州と朝鮮半島に集結させた。この大戦力がもしあの時、そのまま北へ
歩を進めていたら、ソ連は一たまりも無かったはずである。戦後の世界も、また今日とは全く違った
様相となっていたに違いない。ソ連はまさに累卵の危機に直面し、震え上がった。ゾルゲ、尾崎にとっ
てもその使命上、最大の危機となった。この時二人が日本軍の北進を食い止めるためにどのように
動き回ったか、詳しいことは分からない。しかし、この時尾崎が説いて回った「北方傾斜論」という
論文が残っているという。

※「北方傾斜論」は三田村武夫著『大東亜戦争とスターリンの謀略』解説編第三篇の”二、日華事変
より太平洋戦争へ”の「独ソ開戦とシベリヤ傾斜論」で示されている。”北方傾斜論”よりは”シベリヤ
傾斜論”が正しい表現であろうと思われる。

190:文責・名無しさん
09/01/08 14:20:05 qFBXZ2ww0
 
田岡氏暴露 田母神俊夫のM資金疑惑
URLリンク(www.veoh.com)
【外国特派員協会】田岡氏が田母神氏M資金疑惑を直接問いただす
URLリンク(www.veoh.com)

M資金(詐欺)って何?
URLリンク(ja.wikipedia.org)

M資金とは、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が占領下の日本で接収した財産などを基に、
現在も極秘に運用されていると噂される秘密資金である。M資金の存在が公的に確認された事は
一度も無いが、その話を用いた詐欺の手口が存在し、多くの企業人・実業家がこの詐欺に遭い、
自殺者まで出した事で一般人の間でも有名になった。

191:文責・名無しさん
09/01/08 15:51:54 A9P4Wq5d0
>>190
田岡さん服装が乱れています。
  『服装の乱れは、こころの乱れ』

   中学校の校長先生がいつも言ってます。
田母神さんを見習ってね  (^_^)v

192:大東亜戦争とコミンテルン
09/01/09 00:23:22 XBWk+tnw0
戦後マスコミ回遊記 柴田秀利 著
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)

■敗戦謀略の真相 [北進から一転仏印へ]

 それ(尾崎秀実の『シベリヤ傾斜論』)は「今北進すれば、シベリアは苦もなく手中のものとなろう。
だがツンドラのシベリアを手に入れても何になるか。そこからは日本が必要とする石油の一滴すら
取れないではないか。それよりも、北方にいささかの懸念もなくなった今こそ、進んで軍を南へ向け、
豊かな石油資源を手に入れる絶好のチャンスであり、その方がどれほど賢明か。選ぶとすれば、
北進か南進か、いずれをとるか?しかも今日本を真に敵視しているのはソ連ではない。米英である。
米英は、日本がこの北進作戦で、なけなしの石油と鉄を使い果たすのを見届けた上で、必ず日本を
討って出るに違いない」というもの。
 これが決定的な礎石となった。最高政策の決定は、彼の主張通り北から南へ180度転換した。
即ち仏印進駐となって現れたのだった。それを知った尾崎は、自ら満州視察に出掛け、その目で確認
して帰り、もはや日本軍に北進の意図なし、とゾルゲに報告した。同時に南進すれば、いよいよ米英仏
蘭を向こうに回し、筋書き通り、小さな卵が世界大戦の巨壁に自ら体当たりして、自滅し敗戦する。
クレムリンの期待はこれで100%達成されたも同然となった。これをソ連に打電して、初めて二人は
「わが事成れり!!」と乾杯したという。日本の運命はこれを境に釣瓶落しになっていくなど、何人が
気付いていたか。最大の分岐点がこの瞬間にあったといえる。

193:大東亜戦争とコミンテルン
09/01/10 00:46:06 qtMpNR5V0
戦後マスコミ回遊記 柴田秀利 著
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)

■敗戦謀略の真相 [北進から一転仏印へ]

 ちょうどその頃 (尾崎・ゾルゲらによって日本軍が北進から南進へ転換した1941年)、
先般20数年ぶりに北京から帰国した (1980年9月3日、逃亡した中国から27年ぶりに帰国)
伊藤律 (日本共産党No.2、1951年中国へ密航、徳田球一、野坂参三と共に北京機関で活動)
の自白で、(尾崎・ゾルゲらへの)捜査の手が伸び始め、昭和16年10月15日に尾崎、次いで
18日にゾルゲも逮捕されることとなった。
 その上、ABCDライン(包囲網)による(対日)経済封鎖が、近衛文麿公の和平への道を完全に
塞ぎ、内閣のバトンは近衛文麿から東条英機へと引き継がれた。筋書き通りに、日本は軍事政権、
世界大戦へと突入していったのだった。

※伊藤律(いとうりつ)
URLリンク(ja.wikipedia.org)
URLリンク(gonta13.at.infoseek.co.jp)
伊藤律 帰国事件 - 1980
URLリンク(jp.youtube.com)

194:文責・名無しさん
09/01/10 13:58:56 HUyJM7oW0
 
兵士たちの告白 ~撫順・太原戦犯管理所1,062人の手記~
URLリンク(www.megavideo.com)

〓41分03秒~

これはもう、いまだに書けないです。家族に・・。
(自分の)子供たちが「こんなことをやったのか」ということを知ったらね・・・
どんなに嘆き悲しむかと思うと書けないです。それくらい中国の人たちを苦しめた。私のために苦しんだ。

今の日本人は、B29によって殺られたこと、それから原爆によって殺られたこと。
自分たちが殺られたlことについては、いろいろ記録を残して、これを語りつたえて
ゆかなければならんと一生懸命やってますよね。

ところが、私たちが中国人、あるいは朝鮮人、ベトナム人、フィリピンにインドネシアのあちらのほうに・・
中国人に何をやったかと言うことについては、口を瞑って誰も語らない。

そのような状態で、次の時代を背負う人々が出来たときにおいて、これは大変なことになる。
いつかはこの罪を清算しなくちゃならんときが来る。そのときに大部分の人が分からない状態。
そんなときになったら、これは大変なことだと・・。

何が真実かということを、本当に見分けることが出来る人になって頂きたいなと。これを思います。

そして、物質主義じゃなくて、カネとかそういう物質主義じゃなくて、本当に、人々を心から愛することが
出来る人になってもらいたいと。

そうすれば戦争は起こってこない。宗教問題も解決する。民族問題も解決するし、制度の問題も解決
してくるんじゃないかと、私たちが争いを起こさなくても済むんじゃないかと、そう思います。

これを本当に是非、私もこういう状態になりましたけど、言い残したいことはそれだけ。
こういう機会を与えていただきまして、皆さん方に本当に心から感謝いたします。
ありがとうございます・・(合掌)

195:大東亜戦争とコミンテルン
09/01/10 19:43:18 uGauhsdo0
戦後マスコミ回遊記 柴田秀利 著
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)
■近衛総理の上奏文
 尾崎秀実、ゾルゲ(朝日新聞、日本共産党による敗戦謀略)のあらましは、以上の通りだが、
三田村(武夫)論文によると、この敗戦によって32年テーゼにあった、いわゆる二段革命論の
第一段階であるブルジョア民主革命は完遂されたこととなった。即ち天皇、官僚、財閥の力が
崩れ去った。そして既に第二段階の直接革命に突入する段階に来たという。その第一目標が
三大新聞の一つを手に入れて、それを公的な党の宣伝機関として活用すること。それと並行し
て交通、通信、エネルギーの三大機関を止めれば、国家は一瞬にして真っ暗闇の麻痺状態と
なる。そこで一挙に暴力革命に突入する準備は万端整っていたとうのである。
 「読売は、まさにその第一目標にされていたわけですよ」

※読売争議 読売新聞 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
URLリンク(ja.wikipedia.org)
★第1次争議 業員側は闘争宣言を発し、鈴木東民(日本共産党)を委員長とする闘争委員会を結成した。
10月10日には府中刑務所を出獄した日本共産党の徳田球一、志賀義雄、金天海が熱狂の中で迎えられ、
蔵前工業会間では日本全国から戦前の労働組合関係者170名あまりが集まり第一回労働組合再建懇談
会が開かれている。
★第2次争議 1946年に入るとチャーチルの「鉄のカーテン」発言から冷戦が事実上開始され、GHQの方針
に微妙な変化が起こり、これが「民主読売」の前途に暗雲をもたらした。
1946年6月、馬場はGHQの支援を取り付けた上で、鈴木たち共産党員6名に退社命令をだした。これがきっ
かけで争議が再発した。民間情報教育局(CIE)は第1次争議では従業員側を影ながら応援していたが、こ
の第2次争議では馬場ら経営側を応援した。従業員側はストライキで抵抗し、経営側の人間だった務台光
雄はこれに対抗すべく警察担当となって、従業員排除のために警察やMPの出動を要請した。GHQの後ろ
盾が急に無くなった従業員側は初めから不利であり、警察やMPともみ合いになって血まみれになりながら
輪転機を守ったが、10月には鈴木ら労組の幹部だった37名が退社処分となって「民主読売」は崩壊した。

196:大東亜戦争とコミンテルン
09/01/10 20:27:35 uGauhsdo0
戦後マスコミ回遊記 柴田秀利 著
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)

■近衛総理の上奏文

 私(=柴田秀利)はかねがね、極東裁判で東条英機がA級戦犯第一号に指定されたことに疑問
を抱いていた。なるほど、真珠湾攻撃の現行犯としてはやむを得ない。それは連合国の結論であ
る。しかし日本人として、戦争を起こした真因を追究するとすれば、近衛文麿が先に述べた仏印進
駐によって、日米会談その他すべての和平工作を塞がれ、あまつさえACDCラインによる経済封鎖
を受けて、総辞職した途端、政権の座に就いたのが東条英機だった。つまり、拳骨を振るう以外に
道無き時に、軍を代表して総理となったものである。東条英機としては当然、振り上げるべくして振
り上げた拳骨だった。だから確かに現行犯には違いない。しかし、あれだけの大戦争である。到底
一日や二日の準備で出来る筈のものでは無い。政治的、道義的には、少なくともそれ以前4、5年
の政権を担当してきた者が、戦いの止むなき原因を積み重ねてきた、その累積の結果だと見なくて
はなるまい。とすれば、それは近衛文麿をおいて他に無い。酷に過ぎると言えばそれまでだが、一番
大切な政治的・道義的責任の観点からすれば、

             全ては近衛文麿公に有りと断定せざるを得ない。

その近衛文麿公は重ねて言うが、自由主義者、平和主義者で、世界大戦を志向する意志など、絶対
に持ち合わせていなかったと信ずる。それが何故こういう屈辱の帰結を結んだか、それが最大の疑問
であり、その失政のもとはどこにあったか。それは依然、後世史家の徹底的な究明の課題かと言える。
しかしその前に、尾崎、ゾルゲが昭和19年11月7日、ロシア革命の記念日に死刑を執行された3ヶ月
後、遅過ぎはしたが、近衛文麿公は自らの責任を痛感して次のような上奏文を奉呈している。

近衛上奏文
URLリンク(www.max.hi-ho.ne.jp)

197:大東亜戦争とコミンテルン
09/01/10 21:06:50 uGauhsdo0
戦後マスコミ回遊記 柴田秀利 著
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)

■近衛総理の上奏文
URLリンク(www.max.hi-ho.ne.jp)

 「敗戦は遺憾ながらもはや必至なりと存じ候・・・」と前置きした上で、
「国体護持の建前より最も憂うべきは、敗戦よりも、敗戦に伴って起こることあるべき共産革命
に候」と視点をここに据えている。
 「かの1935年人民戦線戦術、即ち二段革命戦術採用以来・・・」とコミンテルンの世界革命戦
略を説き、既に国内に共産革命達成のあらゆる条件が具備されてきたことを力説して、軍人、
革新官僚ばかりか、「皇族方の中にも、この主張に耳を傾けらるる方ありと仄聞いたし居り候」
と、まさに思い切った指摘までしている。
 「このことは過去50年間、軍部、官僚、右翼、左翼の多方面にわたり交友を有せし不肖が、
最近静かに反省し到達したる結論にして、この結論の鏡にかけて、過去10年間の動きを照らし
見る時、そこに思い当たる節々すこぶる多きを感ずる次第に御座候」
 と、自分が如何に迂闊、不明であったかを詫びている。
 そして、この必死の覚悟で書いたと見られる上奏文の最後で、
「この一味を一掃し、軍部の建直しを実行することは、共産革命より日本を救う前提、先決条件
なれば、非常の御勇断こそ望ましく候」
と訴えている。

※近衛文麿は上奏文にてコミンテルンの策謀を指摘していたため、ソ連のスパイであった
GHQ情報部調査課長、ハーバート・ノーマン(『外交官E.H.ノーマン』)により作成された「戦争責任
に関する覚書 近衛文麿」によって自殺に追い込まれているという。
(参考)われ巣鴨に出頭せず―近衛文麿と天皇 (単行本)
URLリンク(www.amazon.co.jp)

198:大東亜戦争とコミンテルン
09/01/11 05:21:42 meunJByo0
戦後マスコミ回遊記 柴田秀利 著
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)

■近衛総理の上奏文 1945年(昭和20年)2月14日
URLリンク(josaito.sakura.ne.jp)
URLリンク(ja.wikipedia.org)

 それ(近衛上奏文)は余りにも遅過ぎた。指摘通り、投げられたサイの目は、誰の目にも既に
敗戦、破局をハッキリと明示していた。泣いても、訴えても、今更どうしようもない時点だった。
それにしても、コミンテルンの二段革命論にはまり込み、この国が当に革命の巌頭に立たされて
いることに気付いただけでも、この告白的上奏文の持つ史的意義は大きかった。だまされ、利用
され続けてきた、かつての青年マルキストなればこその覚醒だったといえる。遺憾ながら、このよ
うな重大な元総理の上奏文が出たなどということは、当時では誰一人知る者とて無かった。(ただ、
軍部だけはこれを察知し、この上奏文に関係した者として、後の首相吉田茂氏を憲兵隊に留置し、
告白させようとしたが、吉田氏は頑として口を開かなかった。筆者は岩淵辰雄さんだった。)

 それは戦後、近衛が巣鴨入りを潔しとせず、服毒自殺したあと、丁度この三田村論文を知った
後だったと思うが、初めて公表され、識者に衝撃を与えた。

近衛文麿の上奏文(抜粋)
URLリンク(www.cc.matsuyama-u.ac.jp)

199:大東亜戦争とコミンテルン
09/01/11 06:07:08 meunJByo0
戦後マスコミ回遊記 柴田秀利 著
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)

■スターリンの罠

 これ(近衛文麿公の自殺(1945年12月)後、近衛上奏文の公表後)と相前後して、尾崎秀実
の獄中から家族に宛てた書翰集が、『愛情はふる星のごとく』と題して出版され、大変なペスト・
セラーとなった。読売はいち早く昭和20年末に本事件の概要を出したが、一周忌を前にして朝日
が、これこそが真相として書いた記事は、一転して自社(朝日新聞)出身の尾崎を愛国者に仕立
て上げ、その流れが今日まで続いている。ともあれ、このベスト・セラーとなった書翰集の跋の中
で、尾崎秀実の親友、印刷出版労組の初代書記長松本慎一が、「尾崎は祖国を売りはしなかった。
祖国を救うため、祖国の繁栄のために命を賭けて行動した・・・」と讃えながら、そのあとの文言は
ハッキリ覚えていないが、

 「そのために尾崎は戦争に反対するどころか、逆に日本を戦争へ戦争へと積極的に駆り立てた」

という意味のことを書き留めているのを見た。ただし、版を重ねる内に、いつの間にかこの論文は
切り捨てられたように記憶している。

 当時から日本共産党は、戦争反対を終始一貫主張し続けてきたのは我が政党だけである、と
一枚看板のように宣伝していた。しかし、松本慎一のこの一文は、はからずもそれが真実では
なかったことを告白した証拠と見られなくもなかった。私はここに、三田村武夫論文の「敗戦謀略論」
が単なる作り話ではないことを確認した。

200:大東亜戦争とコミンテルン
09/01/11 06:37:55 meunJByo0
戦後マスコミ回遊記 柴田秀利 著
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)

■スターリンの罠

 そして考えた。もしこの大東亜戦争が三田村武夫論文通り、スターリンのタクトに振られて、踊ら
されたものだとすれば、必ずやスターリンは、同じような罠を、敵国のアメリカ側にも張り巡らしてい
たに違いない。今まで日本に指令されてきた占領政策の数々も、裏を返せば、ことごとく日本を弱体
化させ、必然的に社会主義化させようとするものばかりだったといっても過言ではない。受ける側の
日本からすると一層それがハッキリと見えていた。日米共に莫大な血の犠牲を払わされ、戦い終わ
って蓋を開けてみたら、何のことはない、双方共々スターリンの手のひらに乗って、踊らされた阿呆
同士だったじゃないか、ということになりかねない。私は、双方がそれに気付いて、眼を開くことを熱望
した。
 翌朝、早速馬場恒吾読売新聞社社長にこの筋書きを話し、これは是非GHQ情報部長ウィロビー少将
に読ませましょうや、と進言した。争議の時に散々世話になった関係もあり、社長も良かろう、というの
で二人で出掛けて行った。
(中略)
私は、「この調査の結果、必ずやクレムリンが、同じような手口で、ワシントンの中枢にも伸びていた
ものと推察します。殊にヤルタ会談の演出者と極東委員会の内部に是非メスを入れて下さい」と付け
加えた。ウィロビー少将は一瞬、愕然とした面持ちを見せた。
「喜んで拝読し、十分検討してみます。その上で改めてこちらから意見を申し上げますから、それまで
しばらくお時間を下さい」と言って雑談に入り、帰社した。

※この事は後に、VENONA暗号解読などにより裏付けられていくことになる。

201:大東亜戦争とコミンテルン
09/01/11 15:30:55 meunJByo0
戦後マスコミ回遊記 柴田秀利 著
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)

■敗戦謀略の本格調査

 半月ほどしてGHQ参謀第2部(G2)部長チャールズ・ウィロビー少将から連絡があり、馬場恒吾
読売新聞社社長と二人で出掛けた。今度は彼一人ではなく、数人のスタッフを揃えて待ち構えて
いた。
 「先日頂いた『敗戦謀略』の論文、つぶさに検討しました。全く驚き入った事実を教えられて、目
の皮が剥がれた思いがしました。そこでGHQ最高司令官マッカーサー元帥以下、全員の意志で
本件の本格的調査、研究をする特別委員会を郵船ビルに設置することを決めました。ワシントン
とも連絡し、委員長に専門家の将官が着任することまで決定したことをお知らせします。われわれ
にとって、実に得難い課題を提供して頂いたことを心から感謝します。」
 真に決意に溢れた、丁重な挨拶であり、回答であった。
(中略)
 ウィロビー少将のやることは全く素早かった。昔の担当検事、特高、それに旧軍の情報担当幹部
が続々と呼び出され、委員会はたちまち膨大な組織に膨れ上がっていった。しばらくして、ワシントン
から着任したという専門家の少将に帝国ホテルでご馳走になり、これは必ずワシントンばかりか、
世界を驚かす調査になりますよ、といった、張り切った意気込みを聞かされ、私は非常な満足を覚
えた。
 ここに三田村武夫氏(『大東亜戦争とスターリンの謀略』)が参画したことは言うまでもない。

202:大東亜戦争とコミンテルン
09/01/11 16:15:14 meunJByo0
戦後マスコミ回遊記 柴田秀利 著
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)

■敗戦謀略の真相 [集中排除法案]

※要約:経済力集中排除法案(極東委員会指令二三〇号=FEC230)
 日本企業約300社を分割・解体し、日本を貧農国化→赤化し社会主義国化を企図した法案
 1946年の日本は1930-1934年の工業平均指数平均の45%、輸出10%、輸入30%
 FEC指令230号は、この危篤状態の日本から、更にその肺と心臓をえぐり取ろうとするものに
 他ならなかった。これを推進したのがアメリカの共産主義者たちだった。

※上記の対日敗戦謀略をGHQに伝え、阻止し、占領政策を「破壊から建設」へと転換させ、
戦後日本の復興の起点づくりに貢献したのが著者らであった。

 こうしてごり押しの集中排除法案を、時計を止めてまで国会を強行突破させ、成立させてGHQ
はじめワシントン本部のラディカリスト(=共産主義シンパ、ソ連のスパイ、ピンコ)たちが乾杯し
ている頃、そのまた大奥の大統領周辺に彼らが思いもしなかった調査の手が深く潜行し始めて
いようなどとは、誰知る由も無かった。戦後最大のソ連スパイの一人と見なされる
ウィテカー・チェンバーズ(Whittaker Chambers, From Wikipedia, the free encyclopedia)
URLリンク(en.wikipedia.org)
が検挙され、その巨大なネットワークが次々と明るみに出されてきたのだ。その概要を知らされて、
私は、遂に私の直感した本物が、ワシントンの中枢部から掘り出されてくるのもほど遠くない事を
期待した。

203:文責・名無しさん
09/01/11 17:18:55 FIqBOR7L0
田母神氏の論法で行くと、日本は、コミンテルンの陰謀によって、張作霖爆殺をやって
天皇まで騙され、首相が辞任する事態に至るわ、盧溝橋事件で日中戦争の泥沼に突入するわ、
負けること必至の太平洋戦争に突入するわで、本当に間抜けな人たちばかりだったことになりますね。
こっちの方がよほど「誇りを持てない」ことになりそうですが・・・。
それに引き替え、コミンテルンというのは実に優秀だったことになりますな。


204:大東亜戦争とコミンテルン
09/01/11 17:35:25 meunJByo0
戦後マスコミ回遊記 柴田秀利 著
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)

■敗戦謀略の真相 [赤いネットワーク]

 雑誌タイムの老練記者だったウィテカー・チェンバーズが、自らソ連の手足だった事を告白する
と同時に、自分は縁を切ったが、クレムリンの指令に基づいて、赤い巧妙なネットワークが政府最
高幹部の頭脳の中に潜入し、明日の世界地図を真っ赤に塗り替えようとしているという、重大な証
言を下院の非米活動調査委員会(the House Un-American Activities Committee; HUAC)で行い、
一大センセーションを巻き起こしていた。なかんずく、彼が政府の最上層部に食い込んでいる指導
的メンバー7人の名を挙げた中に、

アルジャー・ヒス(Alger Hiss) フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 と
URLリンク(ja.wikipedia.org)
URLリンク(en.wikipedia.org)
ハリー・デクスター・ホワイト(Harry Dexter White)
URLリンク(ja.wikipedia.org)
URLリンク(en.wikipedia.org)

の名前が有った。ヒスは戦後世界の分割統治を決めた最も歴史的な米英ソ三巨頭によるヤルタ会談
に、年老いて死期を目前にしたルーズベルト大統領を連れ出し、その特別顧問として暗躍した。
そしてスターリンの要求通り、満州と樺太、千島の権益をソ連に与えるという、戦後のアジアや日本に
とって最大の課題となった案件を、巧みに呑み込ませてしまった張本人である。彼の正体を暴いた
『反逆の種』SEEDS OF TREASON. The Strange Case of Alger Hiss (Hardcover) by Ralph and Lasky, Victor De Toledano
URLリンク(www.amazon.co.uk)
はたちまちベストセラーとなり、全世界を動転させた。

205:大東亜戦争とコミンテルン
09/01/11 18:22:34 meunJByo0
戦後マスコミ回遊記 柴田秀利 著
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)

■敗戦謀略の真相 [赤いネットワーク]

 アルジャー・ヒス(Alger Hiss)こそはまさに、私がかつて推測したとおり、アメリカにおける尾崎秀実
だった。そして今一人のハリー・デクスター・ホワイト(Harry Dexter White)-彼は何とヒスの片腕とし
て、ルーズベルト大統領時代の財務長官ヘンリー・モーゲンソウ(Henry Morgenthau)の次官を務め、
次いで極東委員会が構成され、その委員長にモーゲンソウが座ると同時に、その事務局長として事実
上の対日占領政策立案の全てを掌握していたのだった。それが発覚すると相前後して、どうした訳か、
彼はこの世を去ってしまった。

ヘンリー・モーゲンソウ(Henry Morgenthau)
URLリンク(en.wikipedia.org)
URLリンク(ja.wikipedia.org)
E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%82%A6_(%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%AE%B6)

モーゲンソー・プラン(Morgenthau Plan)
URLリンク(en.wikipedia.org)
URLリンク(ja.wikipedia.org)
%A8%88%E7%94%BB

※モーゲンソウは、日独の復興を妨げ、産業やインフラを徹底的に破壊しようとしていた。
実に、アメリカの赤いネットワークは、ソ連スターリンのコントロールを受けながら、日独を解体・赤化
しようとしていた事になる。

206:大東亜戦争とコミンテルン
09/01/11 19:12:36 meunJByo0
戦後マスコミ回遊記 柴田秀利 著
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)

■敗戦謀略の真相 [赤いネットワーク]

 学生時代からモスクワ芸術座の演出とドラマトゥルギーの熱心な学徒だった私にとって、これ
以上にスリリングな政治劇は無かった。東京とワシントン(※そして恐らくはベルリンも)の双方で
渦巻いていた、絵に描いたように見事な二つの相似形のクレムリン・スパイ・リングが、単なるス
パイではなく、遙かに高度な政治謀略の役割を担って、世界革命への台風の目となって、着々と
進行していたことが、これで見事に浮かび上がってきたのだ。尾崎秀実・ゾルゲ事件のもたらした
教訓が、いかに偉大なものであったか、感慨ひとしおという他はない。

■消された老兵
(中略:要約 マッカーサー元帥がトルーマンの奸計により更迭されたエピソードを紹介し、まるで
真珠湾攻撃を事前に知っていたルーズベルトと同じやり口だ、と評論)

 マッカーサー元帥はアメリカに帰国して、米議会であの有名な「老兵は死なず、消え去るのみ」の
演説をしたあと、三日連続して軍事・外交合同委員会で詳細な証言を行った。その時発行されたニュ
ーズ・ウィークの特集号が、最大限の努力を集結して報道した中で、ハッキリと謳い上げたことがあ
った。それは、帰国に当たって、マッカーサーが日本から船で持ち帰った数々の宝物の中で、一番
大切で、しかも大半を占めたものは、尾崎・ゾルゲ特別調査委員会が集めた、膨大な資料の山だっ
たという指摘であった。
 これが読売争議を切っ掛けとして始まったマッカーサー並びにGHQ幹部との結びつきが描き出した、
占領下での数々の想い出にピリオドを打つべき一大異変だったと言える。


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