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8月8日付 編集手帳
ひと月半ほど前、本紙の「読売歌壇」で知った一首がある。〈完封の投手の上げる
雄叫(おたけ)びのなきまま長き勤め終りぬ 篠山市 清水矢一〉。定年を迎えた感慨
という ◆言われてみると、そう、会社勤めのなかで雄叫びを上げたことは一度もな
いな…。ゲームセットまでしばらく時間を残す身ながら、歌にうなずいた覚えがある。
雄叫びはおろか、小さなガッツポーズの記憶さえ心もとない ◆そのくせ、めった打
ちされて放心している投手を見たときなどは、まるであの時の自分のようだ―と、
仕事でしくじった記憶が冷や汗まじりによみがえるのだから、困ったものである ◆
〈肩を落し去りゆく選手を見守りぬわが精神の遠景として〉。4年前に死去した歌人、
島田修二さんの一首も忘れがたい。敗者のなかに過去の自画像を見つける。スポーツ
観戦の本筋かどうかは別にして、そういうほろ苦い愉(たの)しみも確かにある ◆北
京の聖火台にきょう、五輪の火が点じられる。どの競技といわず、天にこぶしを突き
上げて雄叫びをあげる人の傍らには、うなだれて去りゆく背中があるだろう。いくつ
もの遠景が待っている。
(2008年8月8日01時49分 読売新聞)