08/05/06 23:13:12 v/iB+u8oO
古舘さんへ。
マニフェストが国政を停滞させる。
★マスゴミや野党が金科玉条にし、大衆を酔わせている「マニフェスト」。そののマニフェストの誤解を解こう
スレリンク(eco板:479-480番)
■マニフェスト三原則の誤解…「数値目標、達成期限、財源の明示」の三つ
この三つがたびたび「マニフェストの定義」として報道番組等で紹介され、しかもそこに常に「イギリスで行われている」という枕詞がついてまわることには閉口させられた。
▼数値目標 …『過去にイギリスで出されたマニフェストをいくらひっくりかえしてみても、日本のような数値目標満載のマニフェストは出てこない。』
ブレアの数値目標が注目されたのも、「労働党が政策革新の党であることをやめた」ことと関連している。
▼達成期限 …『「任期中に成果を出す」という以上に特定する一般的必要性は、イギリスの先例からは浮かび上がってこない。』
▼財源の明示
…この部分はブレア労働党にとって、「労働党がネオリベラルの“小さな政府”のパラダイムを受け入れた」こと、
つまり「1980年代以降の保守党の路線を継承することを対外的にアピールするための道具」という意味をもっていた。
■マニフェスト政治の落とし穴
要件の厳しさに加えて、マニフェストを絶対視する風潮がこの危険性をさらにリアルなものとしているのが現在の状況である。
『そもそも、われわれは着地点が簡単には見通せない状態、予期し得ない事態、次から次へと浮上してくる新しい問題に対処するために、政治家を選ぶ。』
『われわれがあらかじめ選んだプログラム(マニフェスト)がそのまま遂行されればすべてが済むのであれば、政治家は必要ない。官僚だけで済む話であろう。』
これまでの日本でのように政治家が融通無碍に過ぎるのにも問題はあるが、『この世の不確実性にこそ、政治家の存在根拠はある。』
『だからこそ、政治家は結果に対して責任を問われることを免れないのであって、
ある時点で与えられたプログラムを金科玉条と奉じるようでは政治家失格である。』
■国政選挙に関する限り、マニフェスト依存症の政治に警鐘を鳴らす。
「何事も過ぎたるは及ばざるが如し」