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岩波「世界」一月号、野中広務「政治家と歴史認識」より。
私は南京には、最初一九七一年、次が一九八一年、次が一九九六年と三回行きました。
最初に南京を訪れた時のことです。当時、京都府会議員をしていた私は二〇〇人ほどの後援会員とともに
上海・蘇州・南京の旅行を行いました。・・・・・
同行した後援会員のなかには、戦争に従軍した体験を持つ方が何人かいらっしゃいました。ちょうど南京市
に入り、南京城壁のところにさしかかったとき、そのうちの一人が突然うずくまって、体をがたがたと
震わせはじめたのです。しまいには、土の上に倒れて体を震わせて動かないのです。私はびっくりして、
看護婦に強心剤を打たせました。数十分が経過してから、ようやく落ち着きました。
「どうしたんだ」だと聞きました。すると彼は、「私は戦争の時、京都の福知山二〇連隊の一員として
南京攻略に参加し、まさにここにいたのです。いま南京に来て当時を思い起こし、地の底に足を引きずり
込まれる状態になり、体が震えてきたのです」と話し、当時の体験を話してくれました。
その一つは。彼が南京に攻め込んだとき、倒れていた中国側兵士を助けた話でしたが、もう一つは
痛ましい話でした。「南京に入った時、土嚢が積まれた家がありました。扉を開けて中を見ると、
女性と子どもがいるばかりだったので、私は上官に「ここは女、子どもばかりです」と言って扉を
閉めようとしたのですが、上官が「何を言ってるのだ、その中に便衣兵がいるのだ、例外なしに殺せ、
容赦するな」と言って命令を下し、私たちはみんな目をつぶって、火をつけてこの人たちを殺して
しまった。戦争のなかで一番嫌な体験です。戦争から帰ってきてもずっと心に残っていて私の夢に
現れてきます・・」この体験を話してくれた方は数年前に亡くなりました。