07/08/02 17:45:29 +9byOOli0
朝日新聞7月31日『歴史は生きている』「日清戦争と台湾割譲」より
(前略)
中国・大連で会った遼寧師範大学歴史学部の郭鉄椿副教授は「朝貢体制は支配や
搾取ではありません。属国の内政には干渉しなかった」という。対等な関係では
ないのだから近代から見れば欠点はさまざまあるにせよ、属国の方もさして居心
地が悪い状態ではなかったというわけだ。
中国を親分としていたのは朝鮮だけでなく、さかのぼれば東アジアの「あたり一
帯」がそうだった。ベトナムや日本に琉球、みんな中華世界の住民だったし、そ
もそも「中国」とは現在の国際法体制でいう国名ではなかった。その境界は今よ
りずっとあいまいで、薄墨で掃いたようにぼんやりしたものだった。
「華夷秩序」と呼ばれるこの国際関係は西欧列強が手を突っ込んで崩れ始めたが、
とどめを刺したのが日清戦争である。「ここが世界の中心である、よきにはから
え」とデンと座っているのが中国なら、日本は「ここまではオレのもの、好きに
やらせてもらう」という帝国主義の線引き合戦に参入し、そこで大ゲンカになっ
たのだ。
もちろん清国とてただのんびりした宗主国だったわけではないし、朝鮮にしても
現状維持か変革かで内なる争い--しかも激しい争いはあった。日本が朝鮮を華夷
秩序から切り離そうとし、これは文明か野蛮かの戦いなのだと訴えて内外の支持
を取りつけようとしたのも、19世紀末の世界にあってまったくの屁理屈ではなか
った。
だが、たとえば日本が侵攻した中国・威海の沿岸で碧い海をながめる時、そのこ
ろのアジアが持っていたであろう「ゆったりとした一体感」を捨てがたく思う気
持ちもわく。日清戦争でアジア侵略へ大きく踏み出した日本は、その後も意識と
してはアジアを外部に置いたままではないのか、と。
(後略)