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産経新聞 1959年12月24日夕刊
| 「暖かい宿舎や出迎え/第二次帰国船雪の清津入港/細かい心づかいの受
| け入れ」【清津で坂本記者】
| …出迎えた人は人口二十万のこの市で五万人。手に手に、もも色の造花、
| 国旗を持って港一帯から沿道は歓呼の列で埋められた。…岸壁に着くと「マ
| ンセイ(万歳)」の爆発。五色の紙吹雪を浴びながら帰国者はすぐ前の休憩
| 所に入った。一階建てだが、日比谷公会堂以上の大きさ。ソファーが五、六
| 〇あり、あとは清潔なベンチが並んでいた。
| 熱風を送る装置がたくさんあって部屋は暖かく、千人近い帰国者をすっぽ
| り収容してまだおつりのくる広さだ。こういうことのできる母国の経済力に
| 帰国者は驚き、安心したに違いない。
| 宿舎は6キロ離れた市内に別につくってある。帰国者のためにこの夏、わ
| ずか四〇日間の超スピードで完成した五階建ての長さ百メートルもある大ア
| パート、これも千人すっぽりはいれる。六畳くらいの部屋にはタンス、家具
| はもちろん小型ラジオまでついて至れりつくせりだ。私たちがみて感銘を受
| けたのは五万人の人が押し合いへし合いの混乱もなく秩序が整然としている
| ことだ。それでいてみんなが同胞を迎える喜びにあふれていたこと。迎える
| 準備が実に行き届いて、たとえば料理でも日本から帰った人にいきなり辛す
| ぎるものは刺激が強すぎるだろうと甘くしてあったり万事に細かい心づかい
| があらわれている点だった。
| 帰国者の一人…は「この歓迎のありがたさはなんともいえません。肉親で
| もこんなにあたたかく迎えてくれるとは思えませんでした。私には手に職が
| ありませんので何でもやって働きます」と語っていた。