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江戸時代の町与力は200石程度の俸禄であるが、諸大名や豪商からの付届けなどの別途収入が多く、
同じくらいの禄高の旗本に比べるとはるかに生活は豊かだったといわれる。
大名諸侯は江戸に上屋敷、中屋敷、下屋敷などを持ち多数の家臣・家族が住んでいた。
これらのものが江戸市中で事件を起こしたり、事件に巻き込まれる事がままある。
このような時に諸侯の名が出たりするのをきらい、穏便に済ませてもらおうと、日頃から町奉行所や
特定の与力に誼を通じて置く。
これが大名家からの付届けであり、公儀も奉行所も認める「公式な」役得であった。