10/05/01 11:53:31
>>777
> 功徳や罰なんて人を縛り付けるだけだと思う
大間違い。
日々の生活において、人は無数の功徳と罰の間で生活している。
例えば、学校の入学試験を受けるとしよう。
準備が足りないので、一生懸命勉強し、最終的に合格した。→功徳
準備が足りないにもかかわらず、ほとんど勉強しなかったため、不合格になった。→罰。
もう少し細かく・・・
準備が足りない→実力テストの結果が悪い(罰)→これではまずいので一生懸命勉強→実力テストの成績が上がった(功徳)→・・・最終的に合格(功徳)という例を考える。
これは、罰を罰と感じて軌道修正を行った結果、功徳を生じたということである。
罰というのは、自分が間違っていると気づかせ、正しい方向に向かわせるという大事な効能がある。
功徳も、同様の効能がある。
ここで一番危険なのが、罰を罰と感じないこと。
こうなると、ますます大きな罰に向かって進むこととなる。