10/05/24 00:05:10
>>963
それは、判断基準・行動基準の問題で、色心不二とは土俵が違う。
「心の師とはなるとも心を師とせざれ」(兄弟抄)他。
例えば、朝眠くて会社に行きたくないw、もっと寝たいという考えがおきたとする。
そのまま寝てしまったなら、心を師とした姿。
その欲望に負けずに、きちんと会社に行ったなら、心の師になった姿。
(ここでは、会社に行くことを無条件に正しいこととする。)
自分の意思としては○○したいが、それが「正しい教え」に照らして間違いであるなら、捨て去るべき・・・・ということ。