10/05/23 23:18:42
>>960
その言い方が一番分かりやすい。
きらびやかに言葉を飾れば飾るほど分かりにくい。多分本人も分かってないから難しい言葉に酔うだろう。
それで、色心不二であるならば、どうであると言う結論に至るのであろうか?
個人的な解釈を言えば、全ての行動が色心不二であるならば、気の迷いと言うものが一切なく、全て自分で認めていると言うことになる。
心では信心を欲していても、行動が本尊を焼いたと言うことは一切なく、心も体も学会を嫌がって行動に移した。と言うことで良いのかな。
心の奥底から本尊を燃やしたいと願い、体はそれに応えて本尊を燃やしたと言うことか?
ならば、本尊を燃やした人は絶対的に学会を嫌悪していると言うことになる。実際そうみたいだが。
この解釈であっていると言うことか?