10/03/26 14:41:56
>>658
アンチじゃないけど、現在未活
まだ20台後半の俺は創価訓練機関に属したこと有るが、難しい仏法などの教義は殆ど無く、
ひたすら、先生のため、先生にお応えするため、を15年近く聞かされた。
少しでも優れたところを出すと、傲慢だ、組織にそんな人は要らないと罵声を浴びされる、
世間はもっと厳しいという話をたびたび聞かされ、訓練に耐え、
完璧な「しもべ」教育に悩まされた。
ある日、運命の分かれ道でもある就職についてそこのボスに相談したら
「君には工場ぐらいしか向かないよ」ってアッサリ返ってきた。
2流大学にも通い、真面目にやってきた俺は流石にパンクして、脱会したが家族や周りに
反逆者同然の扱いをされた。
15年間普通の少年のような暮らしが出来なかった俺はウップンを晴らすかのように色んな遊びに手を出してしまい、
タチが悪いことに母とボスがグルになり、私生活の事をボスに届き、組織にいても家族の事で色々言われ、
家に帰っても親にがみがみ言われ、ついに俺はノイローゼになった挙句、学校にも行けなくなり、引き篭もり
になってしまったのだ。
そして数年後、創価学会の新男子部に推され、俺はまた信心を決意する。
皮肉にも創価学会に苦しまされた筈なのに、またその同じ組織に入り込むこととなったのだ。
今度こそは違う自分になれる!と信じた俺は愚かだった。
そこもまた先生のため、先生にお応えするための毎日である。
世間はもっと厳しいよ言い聞かされ、無論なりたい自分目指す自分など通じるはずも無い。
今度こそ良い答えが出ると就職のことを新男子部長に相談すると
「君には工場しか向いていないよ」と前のボスと同じことを言われ、悪夢が蘇るのであった。
当の俺はこんな性格だから一回死なないと直らないと深く反省する毎日を過ごしている。
結局自分を信じるしかない、他人は他人の悪い部分を指摘、揚げ足とりを平然と行うが、
他人が他人の幸せを考え、幸せに導くと思うのはあまりにも愚かだ。
創価の評価が世間を厳しくさせ、
教祖という言葉は使われていないものの、「人生の師」がそれに置き換えられているだけ。