09/12/24 21:57:57
(レス>70の続き)
「形而上学」には、その客観性について問題が残ると思うが、
幾何学について、その上位概念である数学を含めて客観性が
担保されたものであることは、自明と言えよう。
前の前のスレ(創価学会は大謗法の新興宗教団体22)の
レス528・541で、俺とオマエさん同様に理解の足りない波木井君とが、
どんな事を問題としていたかを思いだしたまえ。
スレリンク(koumei板)
>528 名前:波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆nqD0VViIuo [sage] 投稿日:2009/11/29(日) 08:06:36 ID:???
>>>500
>馬鹿馬鹿しい議論だ。
>
>神仏は心の中の観念的問題で、ある人はあると言い無い人は無いと言う。
>観念論から言えばある人には存在し、無い人には存在しない。
>それは観念的なものだから存在証明はいらない。
>神も仏も為すためにそこに存在する。
>為された信者は内面が外界になしかしらの作用をする。
>それは信者にとって存在することになるわけだ。
>そこに理屈はいらないんだよ。
>
>信じる者には存在し存在原因もちゃんとあるのだ。
>
>この事をいくら言ってもおまえらは理解しない。
>だからいつまでも法華講も学会員も説得できないし、
>彼等を理解もできない。
>
>ま、お前らに今更言っても無駄だが。