09/12/26 23:07:59
>>125-126
この論理には、重大な問題が2つある。
・各御書における、僧(僧宝)の定義
僧(僧宝)の定義は、
「衆僧豈僧宝に非ずや」(当流行事抄)
「久遠元初の僧宝とは即ち是れ開山上人なり」 (当流行事抄)
(南無僧)「南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫首、開山付法南無日興上人師、南無一閻浮提座主、伝法日目上人師、嫡々付法歴代の諸師。」(当家三衣抄)の三種類。
この中で、当家三衣抄の定義だけを用いる理由が示されていない。
この理由を明確に示せないというなら、己義を振りかざしていることになる。
・教学の優先順位の問題。
法主が大きな謗法を犯して改めない場合、法主であることが優先されるのか、謗法状態であるかどうかが優先されるのか?
法主であることが優先されるのであれば、法主絶対論そのものである。