09/07/03 12:24:09
(レス>73の続き)
> そして仏教は「業」といのを重視する。釈迦の本生タンを例に挙げるまでもなく、「原因があって結果がある」という思想。
> これは法華経だけに限らず、日本に広まっている仏教全般に見受けられる。それを元に、病気になるのは、それ相応の原因(悪業)があるのだという思想につながる。
> 精神疾患などは法華経には触れられていないが、差別は存在する。やはり前世の因縁云々と言われたのはこの思想があったからだ。たとえ法華経がライ病について書かなかったとしても、ライ病患者への差別は存在しただろう。
> 身近なところでは「悪いことをしたら、悪い目に必ずあう」などの戒めは
因縁果報や業報思想が法華経の専売とするものではないとしても、当該論者が挙げているところの
『「長阿含経」「中阿含経」「四文律」「根本説一切うぶびなしゃ」「毘尼母経」「宝積経」「栴檀香身陀羅尼
経」など』を基礎とした癩差別の話があがる事など無いのに対し、癩をめぐる様々な事象に法華経誹謗
と癩の話があがる事実からしても、日本における癩差別に法華経が果たした役割を否定することは
できないものと言わざるを得ないのである。
また、精神疾患の場合、日本において場合によっては差別対象としてのみ扱われてきたわけでは
ないが、差別の事象を捉えても、精神疾患差別と法華経を関連付けた話は存在しないであろう。
それは、法華経自体にそのような記載がない以上、当然のことと考えられる。
癩差別に仏教の因縁果報を説く業報思想が影響した事は間違いないとしても、それは法華経を通して
明確な形で影響した点を除外して語る事などできないものと言うべきであろう。
` 以上。