09/07/03 01:25:38 qoeEw13I
>>47-48 猿さん
そんな小難しく考える必要無いんじゃないかな?
慈悲という言葉は、原語では「マイトレーヤ・カルナー」と言います。
マイトレーヤは友愛とか味方とかそんなニュアンスで、カルナーは苦しみという意味。
だから「マイトレーヤ・カルナー」は「苦しむ人への友愛・味方」、そんな感じの言葉になります。
ちなみに、弥勒菩薩もマイトレーヤという名前でしょう。だから弥勒のことを慈尊と
呼んだりするんですよ。弥勒だとマイトレーヤの音訳、慈尊だと意訳ということになりますね。
これが中国に伝わったとき、「マイトレーヤ」を「慈」、「カルナー」を「悲」と漢訳しました。
ですから「慈悲」というのは、他者の悲嘆に対する慈しみ。
他人の苦しみに心動かされる、心が痛む、そんな当たり前の気持ちを指しています。
お釈迦さんは、それが大切だと言いました。
後の時代の人は、仏は私たちに対してそんな気持ちでいるんだよって言いました。
慈悲というのは、元々はただそれだけの意味の言葉です。
ただそれだけの、ホントは『宗教』なんか関係なしに私たち誰もが持ってる、
あるいは、誰かが自分の苦しみにそう感じてくれたら救われる、
そんな素朴な感情に、後から後から大袈裟な理屈をいっぱい継ぎ足して、
なんだか特定の信仰だか団体だか教祖さまにだけ、“ホンモノの”それがあるかのように見せかけるとしたら。
それは、苦しみの底にあってひとかけらの慈悲に飢えている人や、
他人の苦しみに心を痛めて、でもどうしてあげたらいいか分からない人の、
その心に付け込んで「こっちにいらっしゃい」と誘い込んで利用する、悪質な詐欺みたいなものです。
それが、『宗教』の一番困った側面だと、私は思いますよ。