09/05/05 08:43:57
つづきだよ。
いま思えば、みんなが大当たりしたという感じを持つのは、
御本尊いただいたときの初信の功徳というやつだとおもう。
漏れのときは、まだ戸田会長の遺言守って、お寺を立ててやってたころ。
ほんとはね、喪家の言うことなんか真にうけなければ、
毎日“大当たり”するんだよ。
仏法の力を邪(よこしま)な方向、自分たちの野望を達成する手段みたいにするから
実は、喪家の言われるがままやっていると退転、あるいば罰を受けているのと同じ状態になる。
うわべはもっともらしい事を言っているが、10年、20年やってると
たいていの人は、これはおかしい、と思う事がどんどん出てくる。
そう思えるようになれば、はっきり連中の正体がわかる。
喪家に居たまま、“延々とパチンコ台の前にすわっている”ようなことをしていると、取り返しのつかないことになる。
本気でこれではいかん、と思った人は、少数だがたいていお寺へ来ているな。
むろん、仏法は功徳のためにやってるんじゃない。
でも、毎日が進歩、毎日が楽しい、というのがいいに決まってる。