09/01/31 01:15:06
>>521
>幸い、自分は幼少期にお寺に何度も通い、御僧侶を敬うべきであるという感覚は幼心に何となく感覚的に
>掴めていたことでしょうか
それはなんとなくわかるような気がするよ。俺は学生(小中高)と朝参りに毎日通ってた口だった。
当時学会員の人もいたけれど、やはり、あの方々は脱会するのが早かった。
創価がおかしいことに早くから気付いていたように見受けられた。
創価の中には「寺信心」と蔑む人もいたようだけど、やはり違うね、やっぱり。
特に幼少期に何度も通われたことは、本当にあなたを御本仏様は御護り下されたんだと思う。
創価一本やりできた人間には解らないと思うね、これは。
>>522
>断定していいだろう
いや、ダメだな。それはやめておいたほうがいい。
あくまでも推論は推論として発言の記述の最後までそれを通すべきだ。と俺は思う。ま、考え方の違いだな。
>当時流布していた仏滅年代が間違いであることを知っていたが、都合がいいのでそれに乗った説を主張した
だから違うだろ。都合が良い悪いではなく、当時の算定法として広く用いられていたということである。
記述に忠実に則って即して話しろよ。君のそういう姿勢は悪いことは言わん、君の為に言う。「やめておけ」
>そっちが完全無欠と主張しているかどうかは知らんが、この記述はそうだ
違うだろ。これが国語のテストだったら即×である。
>>523
>しかし、提出された証拠や論拠が、どのレベルまで通用するものかは問題だ
それは御尤もだ。
>ある個人のみが納得する論拠や証拠は意味がない
>ある集団で通用する論拠も、それが外に通用すると思ったら大間違いだな
それも御尤も。通用するとは思ってない。故に、そういう時はこちらの言葉で尽くして伝えるしかない。
それでも理解が得られない場合は、諦めるか、考えて返答する。俺はこれまでそうしてやってきた。