09/01/30 18:02:36
『代々と52年組と平成2年以降の脱会組』
大きく分けてこの3タイプがある。
代々は末寺一本の法華講衆で創価を知らない。
52年組は創価と法華講を知っている。
平成2年組は創価一本でやってきたから法華講を知らない。
この関係からそれぞれ温度差がある。
52年組は両方知ってるわけだが長い年数をかけて法華講らしくなっている。
ところが平成2年組は創価しか知らないから、法華講の体質に馴染み辛い。
それは52年組も最初はそうだったのである。
平成2年組は創価しか知らないから『信心活動』と言えば、
創価の活動がどうしても基本になるため、法華講の活動が最初は馴染めない。
要するに『畑違い』なのである。
故に創価から法華講に移って来た最初の頃は法華講と創価の活動とのギャップに苦悩するようだ。
でもそれは仕方がない、『畑違い』の所へきたのであるから。
現在、道理から言って檀家や代々は当然法華講の中では先人であり先輩であり、平成2年組は後輩になる。
ところが創価からやって来た頃は創価の人間主義という弊害から、
『同じ信心をしてるんだから皆平等』という観点と
やって来た『行』に対する自負心から不平不満を口にする。
創価から来たばかりの人間にとっていくら創価と比べても詮無きことである。
世間の言葉である『郷に入りては郷に従え』である。
凡そ、世間でみても学校なり会社なり少なからず先輩後輩があり、校風・社風というものがある。