09/01/28 11:26:10
>>103-104
>やめたほうがいいと思うがね。
なんだ、結局創価情報頼みかえ。少しは楽しめるのか?俺は(苦笑)
>「創価の所業の証拠として」保存は妙観講解釈。
まだ判らぬらしいのぅ。
☆「ただ単に創価の所業の証拠として埃塗れの場所に無造作に放置してあるだけである。」
これは↑実見にて平成4年頃に確認しておる。妙観講が公言しても「創価の所業の証拠として」ここまでである。
>各家庭の謗法払いでも寺院で謗法の物品を保存してあるのかね?
何ビビッておる?探りかえ、ったく。寺院では一時保管はしておられる。ま、いずれ焼却処分されるがね。
>学会の特別扱いを認めることになるぞ。
君はマジわかっとらんのぅ。事、本尊に関してはそれを帰命の対境としての本尊として拝む場合に『謗法性』が発生する。
それ以外ではただの『物品』であり、創価の7体の本尊状のモノは創価の所業の『物的証拠物品』である。
特別扱いもヘッタクレもあるか(嗤)ま、言い換えれば『資料証拠物品』と言ったところだ。何か問題でもあるのかえ?
>公平のため貴方が参照したサイト
それがどうした?法華講の俺が確認の為に以前にパソに保存したものを流用しただけのことである。君に人のことが言えるの義理か?(嗤)
>末寺住職書写の仮本尊をどう開眼したのか知りたいものだ。
これがそもそも根本的に間違っておる。では宿題を出してやろう。書写と開眼の決定的な違いはなんだね?答えよ。
>法主が開眼できるなら末寺住職の仮本尊も必要ないだろう。(当時は交通不便だから許容されていた)
あ?どういう理屈だ?当時交通の便の状況で末寺住職方に『書写』を允可されていた。
血脈がどういうものかすら解っておらんのぅ。これも宿題だ、血脈を論じれるようになってから出直せ。話にならん。
>違うよ。
そうか。俺の立場は判ってるな? で、君の立場(所属)はなんだね?