09/02/09 09:31:07
卑劣なる人間は 往々にして 人を騙しゆく 天才であるから 正義ぶった
仮面を持つものだ 仮面の奥は 修羅と地獄の使いとしての 炎が燃えているこ
とを 見抜かねばならない その本性を見抜き 破りゆくところに まことの信
心の 証があることを 絶対に忘れてはならない
心からの退転は、一見、楽のよう
にみえるが、やがて必ず苦しみの深い人生を知ることになるだろう。
退転した人がいる。しかし、それでは
「一生成仏」とはならない。十年間、信心しても、十一年目に退転している人も
いる。五十年間、信心しても、五十一年目に退転していく人もいるかもしれない。
退転へといざなう原因や環境もさまざまである。社会的な地位に恵まれたがゆえ
に、破仏法への道を歩み始める人もいる。ともあれ、「一生成仏」といっても、
それを達成することは、決して容易なことではない。どうか皆さま方は、一生成
仏の完結の日まで絶対に退転してはならない
逆境にこそ燃える。逆境にこそ一人、敢然と戦う。それが「獅子」である。すぐ
に弱音を吐く、ネズミのような、ネコのような臆病者が大勢いても何もできない。