09/01/24 04:55:31 Swk/GnY0 BE:1008378465-2BP(1495)
>>454 107(前スレ)
(続き)
法華講の方とのコンタクトを機に、御住職から勧誡を受けてはどうかというお話しを頂き、俺は勧誡を受けて
血脈ある御本尊を下附いただき、ようやく救われたのです
ですから、俺にとって御宗門は俺を救ってくれた尊い場なのです
十数年にわたり、御宗門、御僧侶、御法主上人を罵倒し、呪詛のような祈りを捧げてきた俺ですが、御宗門はそうした
事を咎めるでもなく、温かく迎えてくれましたよ
今思い出しても勧誡の時のことは忘れられません、清浄とした中、白衣に白い袈裟を纏われた御住職が勧誡を
行い、かしこくも御本尊を下附いただいたわけです
十数年にわたって創価学会というまやかしの教団に籍を置き、かつて所属していた末寺から檀徒資格喪失の
はがきを受け取っても「あーせいせいした」などと思っていたのに、御本尊を頂いたときに溢れんばかりに涙が
出ましたよ
俺は第二次教義逸脱問題(あなた方のいう宗門問題)から、そして我が家にましました御本尊を御不敬してしまってから、
自分の宿業を変えることは結局出来ませんでした
幼少の頃、辛い思いをして一心不乱に御本尊に祈り、丑寅勤行をしたときにはまさに
「先業の重き今生につきずして未来に地獄の苦を受くべきが今生にかかる重苦に値い候へば地獄の苦しみぱつときへて
死に候へば人天・三乗・一乗の益をうる事の候」という御聖訓のとおり、自分の悩みは消し去ることが出来ました
何度も何度も御本尊、大聖人の教えを疑ったこともありましたよ、ですが、この体験を機に自分は確信を得たわけです
しかし、御本尊を御不敬してしまってからは祈りが通じないのです、どんなに必死に祈ろうとも
やがてまた疑いました、開目抄に
「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき 事を疑はざれ現世の安穏
ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを ・をこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし
事を・まことの時はわするるなるべし」
という一節を思い出しては「疑ってはならない!」と自己暗示を掛けてきました
池田氏を疑うこと、創価学会を疑うことが開目抄にあるこの一節を言っていると思っていたからです
(続く)