09/01/20 23:08:01
つづき
そして、ますます我見で申し訳ないが
俺には法主様の一師相伝は日蓮仏法を途絶えることがないように
という目的であるように思えてしまうのだが。
そこで法主様限定で罰、功徳が決まるとはとても思えませんね。
その文証は?といわれると困るけどw
ところで神札についてですが牧口先生と戸田先生は反対して牢獄へ
それに反し当時の法主様は受け取った。
どちらが日蓮門下として正しいのでしょうか?
正宗に入った牧口先生、戸田先生は、なぜ法主様さえもが受け取っているのに、なぜ反対したのか?
もし神札が国教だからという理由であれば、その時点で誰も折伏などできるはずがなく
日蓮仏法の行者ではなくなってしまうと思いますがいかが思われますでしょうか?
もしその時点で神札を受け取る事が正しければ大聖人は幕府と妥協しあい仏法を
広めると思うのですが、いかがでしょうか?
ここからは更に個人見解ですが
もし牧口先生、戸田先生が出現されなかったら日蓮正宗はどのようになっていたのでしょうか?
牧口先生、戸田先生が出現される前は折伏が全然進んでいない状況と聞いたことがあります。
そう考えると牧口先生、戸田先生は願兼於業で日蓮仏法を広めるための救世主に思えて仕方ない。
かなり我見なのですが