09/01/20 11:04:11 cLdQcjcu
宗門は御本尊の真偽に粘着しているが、この事自体が法華経の根本を外れた話なのだ。
「ある物」を持っていれば良い、持っていなければだめ、霊感商法の手口と同じだ。
物質自体はいずれ消滅する有限なものと法華経はきちっと喝破している。
法華経の視点からいえば、正宗が主張する真物御本尊とやらが消滅してしまえば法華経が終わることになる。
このように、宗門の粘着には妙法の真髄を無視した大きな矛盾がある 。
ではなぜ法華講はこの粘着と追求をなりふり構わず言い続けるのか。
学会が離れて脱講者が相次いでいる信徒を引き留める為、二の次でしかない
文証の真偽を持ち出すほどに宗門が焦っていることが如実にわかる。
「行学の二道をはげみ候べし」
法華経とは即行道。一人一人が自己変革し成長しそれが社会を変革する。
この大行道を実践しているのが創価学会だといえる。
化儀仏教と化した宗門に妙法の真髄は皆無なのである。