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「立正安国論奥書」にはこうあります。
「正嘉に之を始めてより文応元年に勘へ畢んぬ。去ぬる正嘉元年太歳丁巳八月二十三日戌亥の剋の大地震を見て之を勘ふ。」
また、「安国論御勘由来」には
「正嘉元年太歳丁巳八月二十三日戌亥の時、前代に超えたる大地振。
同二年戊午八月一日大風。同三年己未大飢饉。正元元年己未大疫病。
同二年庚申四季に亘りて大疫已まず。
万民既に大半に超えて死を招き了んぬ。」
さて、日蓮大聖人様が立宗御宣言後、間もなくに鎌倉に入られ、名越家の領地であります松葉ヶ谷に草庵を結ばれて、早々に鎌倉の街の至る所で折伏説法を開始され、鎌倉武士や町人等から罵倒を浴びせられ、棒等で打たれ、石を投げつけられておられます。
これが建長5年4~5月の事であります。
鎌倉大地震は6月10日に1回目が起こります。
その後、康元元年8月6日に大風(台風?)により、洪水が起こり、疫病が流行りだしております。
そして、正嘉元年の大地震、同2年にまた大風、同3年に大飢饉。
正元元年に大疫病発生、同2年に亘ります。