09/01/13 03:49:05
1月11日付の聖教新聞「名字の言」を読んで思わず笑ってしまったので要約カキコ。
「カントは我執(エゴイズム)がうぬぼれとなって現れる時が
"悪"であると考察した。
弱者の味方のような顔をして、世間の喝采を浴びながら、ひそかに
自らの名誉欲を満たす。なまじ賢く如才ない、そうした連中を
カントは忌み嫌った。
これは仏法で説く"僣聖増上慢"の姿にも似ている、と思われてならない。
"僣"とは"悪賢い"との意。
聖者のように振る舞うものの、内心は狡猾で、名聞名利を求めてやまない。
(中略)"自分はこれだけやっているのだ"という、
おそらく本人も気づいていない、命の底に巣くう傲慢さ(以下略)」
これってモロに池田大作先生の事じゃねーのw