08/07/16 00:57:43
全く関係無いのだが、創価で得た思い出や良いことというのもゼロではないんだよ
ふと部屋の灯りに照らされる庭の樒(しきみ)の木に目をやったのだが、引っ越しをするときにも共に持ってきて、
俺が生まれた直後に植えられたからかれこれ樹齢32年くらいだろうか、幹は直径10cm近くになり高さも10m近くに
までなった。樒の木は生長が遅いのにこんなに大きくなった
日蓮正宗創価学会の時代から共にあるわけだが、俺はこの樒の木を見ていると自分の人生を見ている気がする
52年路線、宗門問題と大きな悪しきイベントが2度あったが、宗門問題ほど大きな問題は生まれてからこの方
存在しない。大部分の会員は52年路線という言葉自体を知らず、創価が模造板御本尊を8体もこしらえていたことすら
知らない(うち7体は当時の日蓮正宗に没収されている)
少年部の時には当時の未来部責任者や役員の人に遊んで貰ったり、いろいろな催しがあったりとそれはそれで
純粋に楽しかった
あの頃は池田氏の崇拝は今とは違った、みな「池田先生!」という求道心?はあったものの、今ほど異常じゃなかった
末寺にも属していたし俺は御受戒の何とも言えない神聖な雰囲気が大好きだった
年に1~2回行った登山会で大石寺は正本堂で一閻浮提総与の大御本尊に目通りするのも、正本堂の荘厳な雰囲気も
何もかも楽しかった
今後も俺は創価に片足を突っ込みつつ静観していこうと思う
それが卑怯と言われてもね
樒の木を見ていて、ふと頭をそんなことがよぎったから書いてみた