08/09/05 21:15:20
>>804さんへ
> しかし、仮に私が彼と同じ「行」を実践したにもかかわらず、学会と池田先生の正しさがわからないと結論を出したらどうなるか。
> おそらく彼は、「行」が足りない。もっと「行」をしなければ理解できないなどと適当な理由をつけて、学会と池田先生が間違っているのではないかという結論を避けるのは認知的不協和理論からも明確に説明できるのではないでしょうか。。
私はいつも思うのですが 例えばは例えばであり
過ぎてしまった事は絶対に過去には戻れないという事です
人に聞けば人は必ず答えてくれるでしょう でも 自分で感じたほうが 愚痴にならないのではないでしょうか
結果に悩む事はありますが なぜの理由が他に求める事なく 自分自身に感じられるようになる事を願います