08/09/04 17:35:24 BE:672252645-2BP(1495)
>>772 雪山童子
> 去年まではというと 確信を得ぬまま いろんなな情報を知ってしまったのではないでしょうか
増上慢で物を言う訳じゃないが、自分は今までに人並みの苦労はしたし、それを祈って解決してきた
仏界の境地とはどういう状況なのか、身をもって経験したことがある
でなきゃ、御本尊を信仰することなど屁理屈の俺に出来るはずがない、それまでの俺にとって、御本尊は紙幅曼荼羅
以外の何者でもなく、もっといえば紙っぴらでしかなかった
あなたも気づいて欲しい、俺が「知ってしまった」のは、創価の不正であり、大聖人ではない
創価に疑いを持つことと大聖人=法華経に疑いを持つこととを等価に考えてはならない
開目抄の「我並びに我が弟子…」、この一節は創価にではなく、御本仏に対すること
さて、御本仏といえば創価が下付する御本尊…
授与書きが消されたり日寛上人の書体を書き直すなどの沙汰を行った事は大きい
有師化儀抄を自分の都合の良いように解釈して御本尊を信仰する俺はそれが辛くて悲しい
> 私は 若き日の罪が重かったが故に 活動家になってからは 散々な日々でした ですがその体験のおかげで確信する事が
> できたので 今ではいろいろな創価学会の真実を突き付けられても 信心が揺らぐ事はないのです
戸田先生はおっしゃっている、座談会のなかでの一人の質問、
ある一人「我々は創価学会の信者ですか?」
戸田先生「ちがう、我々は日蓮正宗の信者である。僕もそうだ」
もちろん、当時とは状況が違うが、教団としての創価学会を信仰しているという事は結果として池田大作を信仰している
ことに他ならない
創価学会という組織は手段であり、本来の信仰対象たるは、日蓮大聖人の御魂であらせられる戒壇様の分身たる御本尊のみ