08/06/01 20:41:33
>>290
結論から言ってしまえば、
「御利益」と「罰」とはベクトルが逆なだけ、宗教から神秘性を省けば究極的には
自己啓発で、人間が自分自身で自我をコントロールしきれないところをうまくコントロールする
方法なのだろうけど、負の方向に作用するのが宗教の独自性だとおもう
負の方向、つまりは「罰」が無いと、神秘性を保てないからだろうとおもう
だから、感じるものであり、出るものじゃない
結局、プラセボ効果とノセボ効果によるものだろうと思う
だから、それを考えれば宗教が何教であるかという必要性は必ずしも無くて、唯一無二正しい
宗教があるという考え自体がナンセンスなのかとおもう
単に、俺は日蓮仏法を親しんできたし、それを鞍替えする理由もないし、それによって
プラセボ効果を失うばかりか、ノセボ効果が発生するから日蓮仏法を続けている、そういうことだと
自己分析している