08/06/04 20:53:07 tdN96uX5
>>457
>「車で自損事故を起こしたけど、誰をはねるわけでもなく、自分も怪我一つ負わなかった、
>これは御本尊のおかげだ」と考える日蓮正宗の流れ、こういうこと?
>でも、恐らくキリスト教徒も同じだろうと思う「車で自損事故を起こしたけど、誰をはねるわけ
>でもなく、自分も怪我一つ負わなかった、神様がお守りくだすったんだ」
確かに、そういう「信仰」を持つことは可能かもしれません、それは九死に一生を
得たというような場合、それは自分にとっては確率の低いことで、なかなかめぐり
合わない可能性の高いことで、
誰か神仏のご加護があったのかもしれない、と思っても不思議はないからです。
それを統計的な有意性とよんで偶然は説明しづらいことだからこれには何か科学では
わかていない理由があるんじゃないか、と考えたとしても不思議はないかもしれません。
しかし、わたしが言っているのは、
お題目を唱えると快感があり、元気が出てきて
多少の病気なら直ってしまう
ようなことがあるというのは、あくまでも物理的な効果効能であり、人間の身体
にうまくあった音韻のつくりになっているから、必然的にその生理学的な効果
が現われるだけで、科学で説明できてしまうもので、
風邪薬を飲んだ効果と、どこが違うんでしょう?
と言っています。つまり、風邪薬の神様を信じているというのと同じことになって
いるでしょう、と。これは正しく考えている、といえるのかどうかです。言えないと
わたしは思うわけです。そしてそこから非必然の宗教的思弁が追加されて行って
しまいには教祖はすべて深い考えなんだから一切疑わずに信じていればいいんだ
という浅原彰晃カルトの教えに最後は繋がっていくことになっていくでしょうと。